1863年(文久3年)将軍家茂の上洛警護のため、清河八郎が率いる浪士組が上洛した際に宿舎の一つとして
使われた。浪士組は在京20日あまりで再び江戸に戻ったが、八木邸に分宿していた近藤勇や土方歳三などと、
芹沢鴨などの一派は引き続き京都の警備の為残留し、京都守護職松平容保に仕えて新撰組を結成した。
当初、新撰組は当屋敷に「新撰組宿所」の表札を掲げ、隊員はわずか10数名で発足したが、次第に隊員が増加し、
付近の農家にも分宿した。以後、市中の治安維持に努め、1865年(慶応元年)西本願寺へ屯所を移転するまでの
2年間をここで過ごした。
局長の芹沢鴨らはここで暗殺され、奥の部屋の鴨居にはその時にできた生々しい刀傷が今も残っている。
また、当時の長屋門や座敷がそのまま残されており、離れの前には隊士達が愛飲していた井戸水が
沸いている。
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