Japanese Castle

国府台城跡

 江戸川西岸の標高25m程の河岸段丘上に築かれた平山城で、文明10年(1478)に太田道灌が陣城を構えたのが始まりとされる。武蔵と房総との境に位置する重要な拠点として度々戦の舞台となり、特に北条氏と里見氏とが争った国府台合戦の際に舞台として有名。国府台合戦後は北条氏の拠点として利用されたが、天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原平定で廃城になったと思われる。現在は里見公園として整備されており、土塁や空堀の跡が残されている。

里見公園

【明戸古墳】
 城域内に残る全長40m程の前方後円墳。太田道灌が築城した際に盛土が取り払われて二基の石棺が露出してしまったものと伝えられている。この石棺は江戸名所図絵にも載っており、『里見長九郎及び正木内膳の墓とはいずれも誤りなるべし』と記されているらしい。この古墳を土塁として利用した縄張りになっている。
【二重土塁】
 上記の明戸古墳を利用して築かれた二重土塁。形良く残っている。
【物見櫓跡】
 城域内に残る物見櫓跡。この土塁も明戸古墳を利用して築かれている。
【土塁】
 城域の東側にも明瞭な土塁が残っている。
【国府台天満宮】
 城の北東に位置する天満宮。文明11年(1479)に当地の鎮守として太田道灌が建立したと伝えられる。
【羅漢の井】
 天保5年(1834)に描かれた江戸名所図会にも載っている井戸。
【里見広次並びに里見軍将士亡霊の碑】
 国府台合戦で討たれた里見軍の戦死者慰霊の碑。文政12年(1829)に建立されたもの。
【夜泣き石】
 第二次国府台合戦で敗死した里見広次の末娘が、この石にもたれて泣き続けて息絶え、その後毎晩この石から泣き声が聞こえるようになったという伝承が残っている。
【江戸川】
 江戸川沿いに位置し、城域との比高は20m以上あり、かなりの急勾配。天然の要害になっている。
【西側の眺め】
 西側の眺め。国府台合戦の時は江戸川の対岸に北条軍が押し寄せた。