岡本城
岡本城について
里見氏家臣、岡本氏の城を元亀三年(1572)に里見義弘が大改修した海城で、北条氏滅亡後の天正十九年(1591)に
里見義康が館山城に移るまで、里見氏の本城として機能した。周囲を断崖に囲まれた要害とは言え、
里見氏の本城としては規模は比較的小さい印象。現在は国の史跡に指定されているものの、遺構の破壊が著しい。
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【登城路】 |
海側のトンネルの横から急な階段があり、今回はこちらから登城。他の登城路が分からなかったので、
ここからから上ったが、当時からの登城路ではなさそう。ここから一気に本丸まで直上出来てしまうが、
途中には腰曲輪やこの地域特有の横穴『ヤグラ』などが見られた。
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【本丸跡】 |
階段を上りきると本丸跡。南北に長い曲輪で、周囲の土塁などもなく、石碑が建っている以外何もない印象。
しかし、西の見晴らしが非常に良い。当時は北条勢が攻めてこないか、ここから見張っていたんだろうな。
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【本丸北側】 |
本丸の北側にも尾根筋に沿った細い曲輪が続いており、物見台に使われたと思われる大岩も見られる。
西側と北端は断崖だが、東側には腰曲輪が続いている。
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【堀切】 |
本丸の東側を断ち切る堀切。岩盤を掘り下げた規模の大きなもの。西側は海に面した要害で、唯一弱点となる
東側尾根をしっかり断ち切っていることが分かる。この辺りがこの城一番の見所かも。
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【通路】 |
堀切の東側には現在枇杷畑となっている平場があり、そこからさらに東の尾根伝いに曲輪が続くが、
枇杷運搬用?と思われる車道が通されてしまっており、かなり遺構が壊されている。
誰も知らないような山城ならともかく、ここは一応国の指定史跡のはずなのに、どうしてこんなことになっているのだろう?
かなりがっかり。
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【2郭】 |
堀切の東側、上記の通路沿いにかろうじて残っている曲輪。東西を掘切で断ち切っている。
曲輪内には祠のようなものがあった。
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【3郭】 |
さらにその東の郭。北側の一部に土塁のようなものもあるが、この辺りは完全に枇杷畑になっており、
通路も通されている関係で、もうどこまでが遺構なのか良く分からない。
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【3郭虎口?】 |
3郭の東側の虎口のような箇所。位置的には当時の虎口のような気もするが、何しろ改変著しいので正直分からない。
当時の遺構と信じたい。せめて説明板の一つでもあればなぁ。国指定なんだから・・・
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【ヤグラ】 |
房総でよく見られるヤグラ。流石にこれは遺構だろう。
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【枡ヶ池】 |
北に延びる尾根上に掘られた枡ヶ池。岩盤を掘り抜き、雨水を貯めた貯水池兼水堀。
尾根上にありながら、一度も枯れた事はないらしい。山城の井戸などにありがちな話だが、
確かにしっかりと水が溜まっている。色々な伝説もあり、確かに雰囲気があるところ。
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