【天守閣】
小田原北条氏の滅亡に伴い、徳川四天王の一人、本多忠勝がこの地に10万石で封じられた 慶長年間(1596〜1614)に築かれた。 夷隅川の蛇行による曲流に囲まれた半島状の台地に位置する近世城郭で、本丸、二の丸、三の丸に 分かれた平山城である。城主は本多氏3代の後、阿部氏等の譜代大名が入ったが、1703年(元禄16年)の 松平氏の入城以降は9代続き、最後の城主松平正質の代に明治維新を迎えた。 本丸の天守閣は1843年(天保14年)7月3日に焼失した。 現在は復元され現在は歴史博物館として公開されている。

【大多喜水道】
明治3年に最後の城主大河内正質により造られた千葉県最古の水道。全長5.1Kmで、城下町200戸が利用し、 20haの水田に水がひかれた。

【薬医門】
城内で唯一現存する遺構。本柱が中心より前方にあり、控柱を付けた薬医門形で、天保13年の火災後に建築された 二の丸御殿の門。

【大井戸】
大多喜高校内に残る大井戸。 かつては城内に20個以上あった井戸の一つで、初代城主本多忠勝の時に掘られたと言われている。 周囲約17m、深さ20mあり、日本で最も大きな井戸の一つに挙げられている。 水がつきることなく湧き出る事から、当時は「底知らずの井戸」と呼ばれていた。

【二の丸跡】
二の丸跡は現在大多喜高校、公園などになっており、高校には大井戸、薬医門などが残っている。

【土塁・塀】
本丸跡の周囲は急斜面に囲まれ、土塁、空堀の跡などが残っているが、当時の石垣や 建物は残っていない。
土塁(写真左上)と復元された土塀(写真右上)。 また、西側の守りには空堀が多く掘られている(写真左)。

【地図】
元大多喜城主大河内松平家に伝来した絵図で、元禄年間に描かれたもの。