Japanese Castle

白浜城

白浜城について

 足利氏一門であり、房総里見氏の祖となる里見義実が15世紀半ばに安房に渡り最初に入った城で、ここから安房一国を平定した房総里見氏発祥の場所とも言える城。上総進出にともなって里見氏は稲村城に本拠を移すが、その後もこの地の拠点として使われていたと思われる。時代的に技巧的な遺構は見られないものの、比高120m程の城山上に東西1km程にわたる広大な城だったことが分かる。
【櫓台口】
 現在、登城路はハイキングコースとなっており、登城口もいくつかあるが、今回は西側の櫓台口から登城。登り初めてすぐに、今にも倒れてきそうな木々が。また台風でも来たら、この登城口は登れなくなりそう。
【西側切通し】
 少し登ると、西側切り通しに出る。高さ7m~8mの岩盤を垂直にくり抜いた巨大な切り通しで、かなりの迫力。里見氏は当初から岩盤掘削が得意だったらしい。
【西側切通し~第二展望台】
 切り通しを抜け、現在展望台となっている頂部に向かう途中にも虎口らしい雰囲気の場所が残っている。
【西側切通し~第二展望台 腰曲輪】
 登城路の周囲には、至る所に腰曲輪のような地形が見られるが、畑地として使われていたらしいので、どこまでが当時の遺構なのかは良く分からない。
【第二展望台】
 東西に長い白浜城には、尾根上にいくつかのピークがある。西側のピークは、第二展望台となっており、良い感じのテラスになっている。ここからは海が一望できる。正面に見える岬が野島崎。
【第二展望台~第一展望台】
 第二展望台から第一展望台への尾根上の道には、土橋と言うか、切り残しの土塁のような地形が残っている。
【第一展望台】
 第二展望台から尾根伝いに東にしばらく行ったところにあるピークが第一展望台となっており、パイプで組まれた質素な展望台が設けられている。第一と名乗っている割に、第二展望台と比べるとかなり質素。ただ、第二展望台同様見晴らしは良い。
【木曽氏】
 第一展望台に置かれている、何かの基部のような石。木曽の名前が多く見られる。里見氏が安房白浜に入るまでは、関東管領上杉氏家臣の木曽氏が幅をきかせていたらしく、現在でも山麓には木曽姓の方が多く住んでいる。
【石祠】
 第一展望台の東側に位置するピークには、石祠が祀られている。
【東側エリア】
 今回は西側切通しから登り、時間的に中央切通しから下る事にしたが、東側エリアにも遺構が続いているらしい。次回は行ってみたいものだ。
【中央切通し】
 西側切通し同様、岩盤を垂直にくり抜いた迫力満点の中央切通し。山上の遺構は正直、どこまでが遺構か判然としない部分も多かったが、これを見れただけでも来た甲斐があったと思える。
【中央登城路】
 中央の登城路はかなり堅固に造られており、中央切通しの山麓側の登城路も切通し状の道が続いている。
【観音堂】
 山麓に建てられている観音堂。このあたりが大手だったと考えられている。観音堂の中には、永禄6年(1563)に彫られた南房総市指定有形文化財の『賓頭盧尊者坐像』とやらが置かれているらしい。
【神社】
 南側山麓に建てられている青根原神社。この周辺には館前、大庭などの地名が残っていることから、居館が建てられていた可能性がある。また、この辺に里見氏二代成義の墓があるとのことだったが、見逃してしまった。
【砲弾跡?】
 戦時中に米軍の潜水艦から艦砲射撃され、未だにその着弾部分が分かるとのことだったが、この岩剥き出しになっている部分のことだろうか。