今治城



【今治城】
 築城の名手、藤堂高虎により瀬戸内海に面した海岸に築かれた日本屈指の水城。 本丸には五層の天守閣、櫓城門等二十数棟を配し三重の堀をめぐらした、当時 としては他に類例のない一大平城で、近世城郭の先駆けとなる最先端の技術がつぎ 込まれていた。香川県の高松城、大分県の中津城とを併せて三大水城ともよばれている。 寛永12年(1635)からは久松氏の居城となり、明治維新を迎えた。明治維新後には 建造物の殆どが取り壊され、内堀と主郭部の石垣を残すのみとなった。その後、 昭和28年(1953)に県指定史跡となり、昭和55年(1980)遺構主郭部跡に天守や櫓、 門などが再建されている。


【鉄御門】
 三の丸の表門にあたる門。巨大な枡形と武具櫓、東多聞櫓、西多聞櫓の7連の櫓により 厳重に守られていた。今治城の築城時期から、近世城郭で普及した枡形の原点であると推定される。 明治4年に焼失し、翌年には本丸、二の丸建築群と共に石垣も撤去された。平成19年(2007)に 櫓門や多聞櫓などが復元され、内部が公開されている。

【勘兵衛石】
 鉄御門の正面石垣にある重さ16t、表面積8.9m2のひときわ大きな石は、勘兵衛石と 呼ばれている。築城の際、石材不足に困った高虎に、築城奉行の渡辺勘兵衛がセコイ手を 進言して調達した事から、その功を労って記念に置かせたものと言われている。

【礎石】
 鉄門の横に展示されている礎石は、兵船17年〜18年の発掘調査で検出されたもので、 正面鏡柱と背面控柱を支えていた礎石。両礎石とも石灰岩で、割れが入っていた為、 再使用されずに移設展示された。表面にはノミで全面を平滑に加工した跡がある。

【船着き場】
 鉄御門の舟出し。その横には排水路もあるが、これは久松家時代の復元らしい。

【武具櫓】
 鉄御門に隣接する武具櫓。鉄御門や多聞櫓と共に三の丸の大手筋を守っていた。 昭和55年に天守閣などと共に再建され、内部も公開されている。


【三の丸】
 鉄御門から入った主郭部の北西部分が三の丸にあたるところ。現在は藤堂高虎の騎馬像や、井戸などがある。

【三の丸西側石垣】
 石垣上には土塀が復元されている。


【二の丸】
 主郭部の北東部分が二の丸にあたる。三の丸と二の丸とを隔てていたと思われる石垣の一部が 本丸枡形の近くに残っている。

【御金櫓】
 二の丸跡の北東隅に建つ二重櫓。昭和60年(1985)に再建された。内部は現代美術館に なっている。

【二の丸北側石垣】
 石垣上には土塀が復元されている。

【二の丸東側石垣】
 古図によると、当時は土塀が建てられていたようだが、この部分は再建されていない。


【天守】
 本丸北隅櫓跡に建てられた模擬天守。藤堂高虎が五重の層塔型天守を創建したと 言われているが、記録は殆ど残っていない。当時の天守は丹波亀山に移築されたと 伝えられている事から、丹波亀山城に建てられていた天守に破風を組み合わせたデザインで 昭和55年(1980)に模擬天守として再建されたが、位置も含め正確とは言い難い。

【天守からの眺め】
 天守の最上階からは、今治港や来島海峡が一望できる。

【天守内部】
 復元された天守内部は博物館となっており、ジオラマや藤堂家の鎧などが展示されている。

【多聞櫓内部】
 本丸西側石垣の上に再建された多聞櫓の内部。何故か自然科学館となっている。


【本丸枡形】
 主郭部の中央に本丸、二の丸、三の丸を隔てる枡形がある。この枡形を抜けたところが 本丸にあたる。

【吹上神社】
 今治市内にあった神明宮、倉敷八幡宮、厳島神社、夷宮の四社を合祀社殿として 明治5年に造られた。後になり、藤堂高虎と久松定房も祀られていた。現在の社殿は 昭和58年に再建されたもの。

【本丸北側石垣】
 二の丸、三の丸と本丸を隔てる石垣。本丸が一段高くなっている。

【本丸北東隅櫓台】
 本丸の北東隅の櫓台。本丸と二の丸との間にある櫓台で、この櫓を境に、主郭石垣の高さも 変わっている。

【本丸東側石垣】
 古図によると、当時東側石垣の上には北東隅櫓櫓と南東隅櫓をつなぐ多聞櫓が建てられていた。

【本丸南東隅櫓台】

【本丸南側石垣】
 古図によると、当時南側石垣の上には南西隅櫓と南東隅櫓をつなぐ多聞櫓が建てられていた。

【本丸南西隅櫓台】
 城にありがちな、皇太子が来た記念の石碑が建てられている。

【本丸西側石垣】
 石垣上には、本丸北隅櫓に建てられた天守から続く多聞櫓が再建されている。

【久松家家紋】
 本丸には江戸期の城主、久松家の家紋が入った水盤があった。


【山里櫓】
 主郭部の南西に建つ二重櫓。平成2年(1990)に再建された。内部には武具や 古美術品が展示されている。

【腰曲輪】
 山里櫓から一段下がった場所には腰曲輪があり、舟出しも設けられている。

【土橋】
 搦め手にあたる山里口の土橋。この土橋を渡ったところが山里曲輪。

【山里曲輪】
 現在はちょっとした公園になっている山里曲輪。何故か蘇鉄が植えられている。


【主郭北側】
 土橋の東側の幅広の堀には藻がいっぱい。

【主郭東側】
 主郭の東側は御金櫓のみが復元されている。当時は二の丸部分に土塀、本丸部分には多聞櫓が 建てられていた。

【主郭南側】
 南側は多聞櫓が再建されていない。この辺りの犬走りもかなり広い。

【主郭西側】
 主郭の西側は、全面に渡り櫓や塀が復元されており、往時をしのばせる。


【犬走り】
 地盤の弱い海の近くに建てられているため、通常よりもかなり広い犬走りになっている。


【魚】
 海水なので海の魚が泳いでいる。鯛やヒラメなども泳いでいる事もあるらしい。


【御厩公園】
 城外の北東部にあった御厩公園。当時はこの辺りに厩があったと思われる。

【西門通り】
 城域の西側の通り。当時はこの辺りも外堀と内堀とに囲われた曲輪で、屋敷が 並んでいた。

【水門】
 内堀の北西部の水門。今治港の海とつながっている。