松山城



【大手門】
 山麓にある三之丸、二之丸から本丸へと通じる重要な門で、慶長年間(1596〜1615) に建てられた。『尾谷二ノ門』 や、『待合い御門』、待合一ノ門』などとも呼ばれていた。 明治時代に揚木戸門とともに取り壊された

【揚木戸門跡】
 築城時に建てられ、西の大手門と共に本丸大手の入り繰りを守る重要な門。 揚木戸一の門とも呼ばれていた。

【待合番所跡】
 東雲口からの登城道と二之丸からの登城道が合流する地点に待合番所が あった。正確な場所が分かっていないが、大手門と揚木戸門の間に位置し、 本丸へと続くあたりにあったと考えられる。古文書には、この辺りに狭間や石落としを 備えた土塀もあった事が記されている。

【大手門〜本丸】
 大手門から本丸に向かう登城路は何度もコの字に折れ曲がり、途中にはダミーの 中の門、頭上には太古櫓が建ち、強固な守りになっている。

【中ノ門跡】
 太鼓櫓の石垣下に設けられていた門跡。一見、天守に近そうに見えるこの門の先を進むと、 乾門の下で行き止まりになっており、その途中は本丸西側の屏風折れの石垣上からの攻撃に さらされる騙し専用の門。明治時代に取り壊された。

【戸無門】
 大手門からコの字に折れた登城路に位置する門。寛永から正保年間(1624唐1648)の 建立と推定され、江戸時代から戸無門と呼ばれており、創建当初から戸がなかった ものと考えられる。現在は重要文化財に指定されている。

【筒井門】

【隠れ門】

【隠れ門櫓】

【筒井門〜太鼓門】

【太鼓門】

【太鼓門西塀】

【太鼓櫓】

【巽櫓】


【本丸】

【井戸】

【武具櫓】

【櫓台】

【Tamagusuri】

【紫竹門】

【紫竹門東塀】

【野原櫓】

【乾一の門】

【乾門付近の石垣】

【乾櫓】

【乾門】

【乾門】


【丑寅櫓】

【久松】


【東側石垣】

【西側石垣】
 西側の石垣は、死角を消すための横矢が複数重なっており、屏風折と呼ばれている。 大手方向から中の門を通った敵は、この石垣下を通ることになり、弓や鉄砲の攻撃に さらされる。

【南側石垣】

【北側石垣】


【東側虎口】
 東側虎口

【石つぶて】

【北側腰曲輪】