松山城



【三之丸】

【西側水堀・虎口】
 三之丸の西側の水堀。かなり幅が広い。中程に橋が架けられ、現在は公園となっている 三之丸への入口が造られているが、当時はここに橋はなかった。

【西側土塁】
 三之丸の西側の土塁。規模が大きく、一部犬走りも残っている。平成19年の発掘により、 この土塁沿いに馬場があった。

【馬場】
 三之丸の西側には、弓馬の稽古をするための馬場があり、西馬場または杉馬場と 呼ばれていた。寛文元年(1661)頃に造られたと伝えられており、南北365m、幅12m あったと記されている。

【北側土塁・虎口】
 北側の土塁と虎口。当時三之丸の虎口はこの北側と東側の二箇所しかなく、 この虎口の東側も堀が続いていた。現在、東側の堀は埋められ、門跡も何も 残っていない。

【三之丸跡】
 平成25年3月現在発掘中の北側一帯が、古図によると実際に三之丸があった場所らしい。

【堀跡】
 二之丸石垣下の駐車場になっている部分と、その周囲の一段低くなった部分は、かつて 水堀だった場所。二之丸が、かなり広い水堀で守られていたことが分かる。

【道】
 黒門の正面から堀跡の横に続く道は当時からある道の跡に造られているらしい。

【東虎口】
 三之丸の東御門には、二層の櫓門が建てられていた。平成7年度からの発掘調査で 石垣が検出されている。

【東側土塁・水堀】
 二之丸の堀に続く北側は埋め立てられている。当時は幅も今より広かったらしい。 土塁の外側には犬走りが見える。

【南側水堀・土塁】
 三之丸南側の堀と土塁。当時は現在の路面電車の辺りまで堀があったらしい。 中程にある橋は後に架けられたもので、当時はなかった。


【ロープウェイ通り】
 東雲口付近には当時東曲輪があり、城の麓を通るロープウェイ通り沿いに 石垣が残っている。

【東雲高校】
 ロープウェイ通り沿いにある東雲高校。ここの校門あたりは、当時も虎口があったらしく、 櫓台のような石垣も残っている。

【北側石垣】
 東曲輪の北側は今の東雲神社の辺りらしく、神社の北側に石垣が続いている。