大洲城 三の丸他



【お殿様公園】
 南隅櫓のある一角は、現在お殿様公園として整備、公開されており、南隅櫓の他に旧大洲藩主だった 加藤家の住宅の母屋などが残されている。

【南隅櫓】
 三の丸外堀に面した二層二階の櫓で外壁には袴腰形の石落としが3ヶ所設けられている。 建築年代は定かではないが、享保7年(1722)に火事で焼失し、明和3年(1766)に再建された 大洲城に現存する最古の建物。現在は他の3つの櫓と共に重要文化財に指定されている。

【南隅櫓内部】
 南側と西側の壁は、防弾の効果を高める為、小石などが詰め込まれた太鼓壁になっている他、 内側から突き破れる隠狭間も設けられている。

【三の丸外堀】
 南隅櫓の外側の辺りの堀は、大洲城の中でも最も広く、堀幅が30間(約54m)あった。 寛永4年(1627)の記録では、蓮池の堀とされており、蓮が茂った堀だったことが分かる。 廃城後の明治7年(1874)に払い下げられ、水田として利用された後、現在は大洲高校の グランドになっているが、石垣は当時のまま残っている。

【三の丸西門跡と松並木】
 三の丸の南側にある西門から、南隅櫓に至る道筋にはクロマツの並木があった。寛政11年(1799)に 描かれた絵図にも並木が描かれている。昭和37年(1962)には大洲市指定天然記念物に指定されたが、 マツケムシの大発生により昭和53年(1978)までに全て枯死してしまった。


【三の丸】
 大洲高校内に建てられた至徳堂付近の石垣。この辺りの石垣も良く残っている。


【内堀跡 菖蒲園】
 西側の内堀の跡。この辺りは蓮畑として残され、唯一埋め立てられずに残された場所で、 平成元年に内堀菖蒲園として整備され、内堀の姿を留めている。

【三の丸西側石垣】
 菖蒲園の西側にも堀跡と分かる道があり、その道を隔てての三の丸の石垣が残っている。

【三の丸西側石垣】
 三の丸の石垣は住宅地にもよく残っており、建物の土台などに取り込まれている。