現存天守
【現存天守】
現存する12天守のうちの1つで、国重要文化財(昭和9年)に指定されている。藤堂高虎が 創建した当初は望楼型天守だったが、宇和島伊達家2代宗利が寛文6年(1666)頃に、3重3階 総塗籠式、層塔型に再建したものが現存している天守。 小さいながらも、千鳥破風や唐破風などの装飾性の高い破風など、御殿建築の意匠が随所に 見られ、非常に格式を重んじた造りとなっている。万延元年(1860)、昭和35年(1960) に大修理を 受けている。
【玄関】
式台付きの玄関と、装飾性の高い唐破風と懸魚など、非常に格式を重んじた造りとなっている。
【南面、北面】
この時期、戦いはあまり意識されていないらしく、石落としや狭間などは一切ない。
【犬走り】
天守台に比べると、天守が一回り小さくなっている。
【天守1階】
3層3階の天守は土台石も含めて15.8mで、3層の正方形が層ごとに2mずつ小さく細く なっている。一階には雛形の木組みが置いてある。
【天守1階〜2階】
1階から2階への階段には踊り場がある。
【天守2階】
廻縁の幅が1階より狭くなっている。
【天守3階】
3階には廻縁がなく、1階と比べて廻縁の広さで調節していることが分かる。
【天守からの眺め】
北西側には宇和島湾、宇和海が見えるが、当時は海に面していた。