一乗谷城
一乗谷城について
【朝倉氏館跡】 |
朝倉家五代当主の義景の館跡。三方を堀と土塁で囲まれた館内には御殿や会所の他10数棟の建物の礎石が規則正しく並んでいる。
永禄11年(1568)には足利義昭をこの館に招いて盛大にもてなした記録が残っている。
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【唐門】 |
館の正面である西側に位置する唐門。いかにもな感じで残っているが、実はこの唐門は朝倉氏滅亡後に建てられた松雲院の門。
場所的には館の正門の位置なので、ここを発掘すれば当時の門跡などが見つかると思われるが、この門はこの門で貴重なので、
この門がある限りむやみに発掘できないらしい。
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【西側石垣・櫓台跡】 |
館の正面にあたる西側に築かれた土塁と水堀。堀幅は5m程で土塁もそれ程高くはない。内側には石垣が見られる。
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【櫓台跡】 |
南西隅に残る櫓台跡。周囲の土塁よりも一段高くなっており、そこそこの櫓は建てられそう。
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【南側土塁・南門跡】 |
南側の土塁と水堀。中程には南門跡の土塁の切り欠きが見られる。当時は外側の水堀に木橋が架けられていたのだろう。
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【朝倉義景墓所】 |
館内に建てられている朝倉義景の墓。信長の勢いはすごかったかもしれないが、義景がもう少し・・・
などとどうしても思ってしまう。
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【庭園跡】 |
館の奥にある庭園跡。足利義昭をもてなすために造られたと言われている。池の底全体に平らな河原石が並べられており、
てっきり最近整備されたものだろうと思っていたが、これは当時のものらしい。
優雅な朝倉氏だけあり、館跡には多くの庭園があったらしく、中でもここを含めた4つの庭園は国の特別名勝に指定されている。
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【北側石垣・北門跡】 |
こちらは北側の土塁。内側にはしっかりと石が積まれており、こちらも中程に虎口が設けられている。
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【北側水堀】 |
北側の水堀。そのまま山腹まで竪堀のようになって続いている。この上に山城部分があるのだろう。
行きたかった・・・
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【井戸跡】 |
館内には複数の井戸跡が残っている。すぐ横に一乗谷川も流れており、水には困らなかっただろう。
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【湯殿跡庭園】 |
背後の観音山を少し上った場所にある湯殿跡の庭園。朝倉氏の風格や気勢を感じることが出来る庭園らしく、
文化人はこの石を見ると魅了されるものらしい。そう言われるとすごいもののようにも見えてこないでもない。
一乗谷で最も古い庭園とされているが、『湯殿跡』とは江戸時代に初めて登場するものらしい。。
それよりも、岩の間から出てきたアオダイショウの方が気になった。
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