北ノ庄城跡


【北ノ庄城跡】
 一向一揆を壊滅させた後、天正三年(1575)に柴田勝家が越前49万石の領主としてこの地に赴き築城した。 9層の天守閣をもつ、最大級の城だったと記録がある。天正9年(1581)にこの地を訪れたルイス・フロイスは 『此の城は甚だ立派で・・・』 などと記している。また勝家はまちづくりにも尽力し、、現在の福井の基礎を築いた。 天正11年(1583)の賤ヶ岳の戦いに敗れた勝家は城に火を放ち、お市の方と共に自害した。 かつて本丸があったと伝えられる場所には現在、勝家とお市の方を祀る柴田神社と、茶々、初、江を祀る三姉妹 神社が建てられている。


【柴田神社】
 かつて本丸があったと伝えられる場所に建てられている柴田神社。しかし、その後に築かれた福井城の遺構とも 重なっているので、どの程度が北ノ庄城の遺構であるかは微妙。


【柴田勝家像】
 信長の重臣として活躍した。天正3年(1575)に越前一向一揆を滅ぼし、越前の大部分を与えられた。 賤ヶ岳の戦いで秀吉に敗れ、お市の方と共に自害した。


【北ノ庄城石垣】
 柴田神社周辺は、柴田勝家の築いた北庄城(1575〜1583)天守閣跡と伝えられている場所で、 当時の石垣が発掘されている。以前は高く積まれていたが、江戸時代、結城秀康の福井城 築城に際し取り除かれ、石垣の根石のみが残った状態であると考えられている。


【九十九橋】
 北陸道と足羽川が交わる地に架けられていた橋で、柴田勝家が半石半木の橋にしたと伝えられており、 珍しい橋として全国的にも知られていた。その橋を旧石材で再生したものが展示されている。


【お市と3姉妹】
 お市が柴田勝家に嫁いだ際に北ノ庄城に移り住んだ。お市とその3姉妹ゆかりの土地と言う事で、 銅像や三姉妹神社なるものまで建てられている。