会津若松城
その他のエリア
【甲賀町口門跡】
城域の北側、甲賀町に残る門跡の石垣。この門を境に内側を侍の屋敷、外側を町民の住居となっていた。 周囲には土塁が築かれ、外堀も掘られていたが現在は埋められている。当時はこのような門が 城下に16ヶ所あったが、この甲賀町口は大手筋として特に厳重な構えだった。
【阿弥陀寺】
戊辰戦争で本堂を失い、その代わりに本丸に建てられていた御三階が明治3年に移築された。 鶴ヶ城の遺構として唯一残る数寄屋風の楼閣状の貴重な建物で、外観は3階、内部は4階となっており、 2階と3階の間に天井の低い部屋がある。3階に登るはしごは用のないものが上がれないように、 上から引き上げる仕組みになっており、当時は密議所として使われていたと考えられている。 また、阿弥陀寺には明治期まで生きた新撰組の斉藤一の墓もある。
【蒲生氏郷の墓】
市内に残る蒲生氏郷の墓。蒲生氏郷秀吉配下の奥羽の抑えとして入封し、 城や城下町を整備したが、入封後5年で亡くなった。没後の翌年に秀行によって 建てられた五輪塔が残っている。当時は霊屋もあったが戊辰戦争の際に焼失した。
【直江邸跡】
城域の西側、当時の大通りが交差する地点で、蒲生氏郷による町割り以降は、重臣の屋敷が置かれた地域。 上杉景勝が入封した際は、直江兼続の屋敷となった。現在は石碑が建てられているのみ。 山鹿素行誕生の地でもある。
【飯盛山】
市内の北東に位置する山。戊辰戦争の際に白虎隊が自刃した地としても有名。