向羽黒山城 実城エリア



【実城エリア】
image-1  標高404mの岩崎山の山頂に位置する実城。西側の山腹には巨大な竪堀が掘られている他、 多くの曲輪や空堀などが残っている。


【堀切】
image-1 image-1  実城と中城との間を通る車道と、中城の横に造られている駐車場。 当時は実城と中城とを隔てる堀切に車道が造られ、駐車場も曲輪だったと思われる。


【登城路】
image-1  駐車場から実城への登城路。この登城路沿いに竪堀が掘られ、幅の広い曲輪が数段に わたり続いている。こちらが当時の大手だったと思われる。

【竪堀】
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 登城路を上り初めるとすぐに見える竪堀。西側の山腹のを完全に分断する規模の大きな 竪堀で長さは約70m、幅は8m程あり、両側には高さ1m程の竪土塁も伴っている。 上杉景勝が慶長3年(1599)頃大改修したと言われている。

【腰郭】
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 登城路の途中に見られる数段の腰郭。建物の礎石が見つかっている。 蒲生氏の頃までは掘立柱の建物が主流だった事から、蒲生氏以降に改修され、 使われていたものと思われる。

【石積み】
image-1  登城路の途中に見られる石積み。ここ以外の場所からも石積みが見つかっている。

【空堀】
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 一東曲輪の西側に掘られた幅10m程の空堀。周囲には重厚な土塁も残っている。 一部水堀のようにになっていた。

【馬出し】
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 空堀の上部にある馬出し状の曲輪。本丸方面とは形の良い土橋で連結し、 周囲は土塁で囲まれている。

【空堀】
image-1 image-1  一曲輪の周囲を取り囲む空堀。だいぶ埋まっている感がある。当時はもっと深かったものと思われる。

【竪堀】
image-1  西側の竪堀と比べると規模は小さいものの、東側の山腹にも竪堀が掘られている。


【一曲輪 外枡形】
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 一曲輪の北側には二段の腰郭が設けられており、一曲輪の外枡形としての役割をしていたものと思われる。 このあたりの遺構は、その規模から蘆名氏時代のものと思われる。

【一曲輪】
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 標高408mの岩崎山の山頂に位置する一曲輪。東西約40m、南北25m程の曲輪で、 周囲は綺麗に切り岸加工されている。複数の掘立柱建物の跡の他、 東北隅には櫓台の遺構も発見されており、当時は天守櫓が建てられていたと考えられている。


【阿賀川】
image-1  城山の東側は急崖となっており、その下には阿賀川が流れ外堀の役割を果たしている。 阿賀川までの標高差は169mあり、天然の要害となっている。


【弁天曲輪】
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 実城の東端にあたる弁天堂。阿賀川に突き出した物見台のような曲輪で、弁天神社が祀られている。