【伝・盛氏屋敷】 |
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二曲輪・三曲輪の北側に位置する伝・盛氏屋敷。高さ10m近い土塁と堀に囲まれた 約40m四方の区画で、蘆名盛氏が隠居の為の屋敷を建てた場所と言われているが、 建物の遺構などは発見されていない。東側の北曲輪の方が一段高くなっており、 土塁内を見渡せてしまう位置に城主の館を建てるというのも少し違和感がある。 現状は大規模な外枡形だが、これは上杉景勝の頃に改修された可能性が高い。 |
【伝・盛氏屋敷北西土塁】 |
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伝・盛氏屋敷の北西隅は土塁が削られ北側に向けて傾斜し、そのまま山麓へと通じるくるみ坂へと 続いている。このあたりは、慶長6年(1601)に破城された跡の可能性がある。 |
【上町】 |
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伝・盛氏屋敷の西側、一段下がった場所は現在は藪に覆われているが、当時は上町と呼ばれ、 さらにそこからくるみ坂を下りた北の山麓には外堀に囲まれた十日町があり、家臣や町人が住んでいた。 |
【伝・盛氏屋敷東側土塁】 |
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伝・盛氏屋敷の東側の土塁の中程には外側に突きだした部分が見られる。 ここから北曲輪に木橋が架けられていたらしい。 |
【北曲輪 西側土塁】 |
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北曲輪と伝・盛氏屋敷とを隔てる土塁。この土塁の中程には切れ目があり、ここから 伝・盛氏屋敷のに木橋が架けられていたものと思われる。一部に石積みも見られる。 |
【北曲輪 北側空堀】 |
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北曲輪の北側には折れを伴う空堀が掘られ、西側で枡形虎口に接続している。 |
【北曲輪 枡形虎口】 |
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北曲輪の北西、一段下がったところに設けられている枡形虎口。盛氏屋敷の巨大な枡形に比べると 小さく見えるが、周囲の枡形の土塁が明瞭に残っている。 |
【北曲輪 南側腰郭】 |
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北曲輪と伝・盛氏屋敷の南側は空堀を隔てて腰郭が連続している。 |