【大手枡形虎口】 |
---|
![]() ![]() ![]() |
![]() ![]() ![]() |
本丸の東側山麓に残る規模の大きな大手の枡形。一の門にあたる冠木門と二の門にあたる櫓門 により枡型を構成していた。周囲の石垣が良く残っている。 |
【鐘楼・井戸】 |
---|
![]() ![]() ![]() |
枡形の二の門の先は、土塁で囲まれた馬出状の小郭となっており、 土塁上には鐘楼、郭内には三本杉井戸が残っている。 |
【大手道】 |
---|
![]() ![]() ![]() |
大手枡形から本丸へと続く大手道。一回目は夜中、二回目は大雪だったため、 3回目にしてようやく石段を見る事が出来た。 |
【胴丸】 |
---|
![]() |
【虎口石垣】 |
---|
![]() ![]() ![]() |
![]() |
【虎口石垣〜本丸】 |
---|
![]() ![]() ![]() |
石垣で囲まれた虎口を抜けると正面は本丸の土塁となり、左右に道が分かれる。 本来の大手道は左側で二ノ郭を通り本丸に至り、右側は直接本丸の東門に通じていた。 |
【二ノ郭 東側虎口】 |
---|
![]() ![]() ![]() |
![]() |
【二ノ郭】 |
---|
![]() ![]() ![]() |
本丸の南側、一段下がったところに位置する曲輪。本丸とは1m程の段差で仕切られており、 周囲には土塁が築かれている。当時は土蔵が建てられていた。 北東の櫓門の他、本丸との間には黒門、南側には帯郭へと通じる井戸門、 北西にも石垣を伴う虎口が設けられ、本丸へと至るルートの要となっていた。 |
【二ノ郭 野口英世像】 |
---|
![]() |
【二ノ郭 井戸門跡】 |
---|
![]() ![]() ![]() |
二ノ郭の南東、帯郭の井戸へと通じる虎口で井戸門跡と呼ばれた。門の礎石が残っている。 |
【二ノ郭 西側虎口】 |
---|
![]() ![]() ![]() |
二ノ郭の西側の帯郭へと通じる虎口。この虎口の横には本丸隅櫓があり、この虎口を守っていた。 現在も隅櫓の石垣が残っている。 |
【本丸】 |
---|
![]() ![]() ![]() |
![]() |
【本丸北側】 |
---|
![]() ![]() ![]() |
本丸の北側には高さ1.5m程の重厚な土塁が築かれ、その外側は北帯郭まで高低差10m程の かなりの急勾配の斜面となっている。 |
【本丸東側】 |
---|
![]() ![]() |
【井戸跡】 |
---|
![]() ![]() |
【南帯郭】 |
---|
![]() ![]() ![]() |
本丸の南側に位置する南帯郭。20m四方程の郭で、当時は硝煙蔵が建てられていた。 周囲には土塁が残っており、南側は深い堀切になっている。 |
【南側堀切】 |
---|
![]() ![]() ![]() |
南帯郭の土塁の南側、城山の南端は鋭角な切岸と深い堀切で断ち切られている。 |
【旧山内家住宅】 |
---|
![]() |
【西帯郭】 |
---|
![]() ![]() ![]() |
![]() ![]() ![]() |
本丸の周囲を取り巻く帯郭の中でも西側は特に規模が大きく、上下二段になっている。 上段の北側は幅20m程で広く居住性があるが、南側は幅が狭く箱堀のようになっている。 |
【西帯郭 】 |
---|
![]() ![]() ![]() |
![]() ![]() ![]() |
西帯郭の下段は上段に比べると幅が広く土塁も高く、居住性もありそうだが、 上の段と併せて二重堀とも見る事も出来る。南側に虎口のような幅が狭くなった場所があり、 そこから山麓に続いている。 |
【西側山麓】 |
---|
![]() |
【北帯郭 東側虎口】 |
---|
![]() ![]() ![]() |
上段の西帯郭のと北帯郭との間の虎口。北側の鶴峰城方面に向かう通路の虎口にもなっている。 |
【北帯郭】 |
---|
![]() ![]() ![]() |
本丸の北に位置する東西30m、南北20m程の帯郭。周囲には土塁が残っており、 当時は隅櫓が建てれていたらしいが、場所は特定できなかった。 |
【北側山麓】 |
---|
![]() |
【北側堀切】 |
---|
![]() ![]() ![]() |
北側の鶴峰城とを隔てる堀切。尾根を完全に分断する規模の大きなもの。 |
【中門跡】 |
---|
![]() |