磐城平城
磐城平城について
慶長8年(1603)に鳥居忠政によって築かれた近世城郭。領民を総動員して12年かけて築城されたと言われている。その後、江戸時代を通じて内藤氏、井上氏、安藤氏と城主が代わり存続したが、戊辰戦争で多くの建物が焼失し廃城となった。いわき駅前と言う事もあり、現在は宅地化が進み、遺構は殆ど残っていない。
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【本丸跡】 |
いわき駅北側の高台が本丸跡。広大な御殿跡は芝生広場になっているとの事だったが、訪れた時は解放されておらず、見学出来なかった。三階櫓跡などもこの中なので、残念。なんでも、この一帯は個人所有の土地らしいので仕方がないが。南側の切り岸が良く残っている。
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【白蛇堀】 |
本丸東側に残る白蛇堀。こちらも見学出来ず、柵の外から除くだけだったが、現在でも明瞭に残っており、櫛形門の方まで続いている。近くに湧き水があり、溜池としても使われた水堀だったが、現在は櫛形門近くは空堀になっていた。白蛇が住み着いた事から白蛇堀と呼ばれているらしい。
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【櫛形門跡石垣】 |
本丸北側に設けられた櫛形門の石垣。平城に残された数少ない貴重な遺構。特に左側の石垣が良く残っており、比較的大きな石を使っていた事が分かる。この石垣の上には塗師櫓と呼ばれる櫓が建てられていた。珍しい名前だな。
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【隅図櫓跡】 |
櫛形門を構成する右側の石垣も残っており、こちらの石垣上には隅図櫓と呼ばれる櫓が建てられていたらしい。ここは変わった名前の櫓が多いな。
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【中門櫓跡】 |
本丸西側に設けられた中門櫓跡。ここはいきなりありがちな名前。内側の石垣は最近の積み直しのように見える。外側は旧状の石垣に見えるが、上部は崩落してしまっている。この辺りは地震が続いたからな。
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【丹後沢】 |
本丸の北側には、丹後沢と呼ばれる幅40m程の規模の大きな水堀が残っている。この堀を築く際、何度堰を築いても大雨で崩れてしまい、地元の老人『丹後』が人柱となって無事に完成した事から、丹後堀と呼ばれているらしい。
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【丹後沢】 |
丹後沢から続く本丸の東側。現在は道路になっているが当時はこの辺りも堀だったと思われる。この堀を挟んで東側に二の丸が設けられていた。
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