【大鳥城】 |
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【大手道】 |
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かつての大手道にあたる東側の山麓からの登城路。道沿いに砦の跡が残っている。 訪れた日は大雪の影響で倒木も多く通行止めになっていた。 |
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【三の砦】 |
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大手道を上ると最初に現れる広大な曲輪。屋外ステージなどが設けられている。 この砦の周囲はなだらかな斜面となっており、古い時代の城という事もあってか、 切岸加工も殆ど見られず、要害性に乏しい。 |
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【二の砦】 |
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【竪堀】 |
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二の砦の南側の谷。あまり手は加えられてなさそうだが、天然の竪堀のような地形になっている。 |
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【東水の手】 |
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二の砦と一の砦の間にある水の手。周囲を石積みした井戸で、今でも水が湧いている。 |
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【一の砦】 |
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【本丸】 |
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最高所に位置する100m四方程の広大な本丸。石碑や神社の跡があるが、 祠自体は地震で崩れてしまったのか、見当たらなかった。 |
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【本丸北側】 |
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本丸の北側は一段低くなっている。当時は区画された曲輪になっていたのだろうか? |
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【本丸虎口】 |
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本丸には現在北、南、東の3カ所の虎口があるが、いずれも技巧的な造りは見られず、 どの虎口が当時からのものかは良く分からない。 |
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【本丸周囲】 |
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本丸の周囲には現在舗装された道路がめぐっており、当時の腰曲輪の名残と思われる。 |
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【明地】 |
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本丸北側の一段下がった腰曲輪にあたる場所で、空地とも書き、戦さの時の溜まり場としても 使われていたとの事だが、規模の大きな枡形状の遺構だった可能性もある。 普段はここまで車で上ってくる事が出来、駐車場になっている。 |
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【明地北側土塁】 |
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明地の北側にわずかに残る土塁の跡。ここに土塁が築かれていたとすると、 明地は枡形としての性格を持った遺構と思われる。 |
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【北側】 |
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明地の北側の下がったところには西水の手がある。北側一帯も基本的に切岸加工が甘く、 なだらかな斜面が続く印象。古い城跡ならではの造りだろうか。 |
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【本丸〜矢庫】 |
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本丸と西側の矢庫との間の堀切。現在は堀底が舗装されて幅の広い堀底道となっている。 |
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【矢庫】 |
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本丸の西側に位置し、周囲を土塁で囲まれた独立した曲輪で、矢庫と書いてやぐらと読む。 375坪の曲輪内には武器や兵糧などが貯蔵されていたと思われる。 |
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【西側空堀】 |
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矢庫の西側の空堀跡。尾根続きの西側の守りとして、唯一しっかりと掘られた遺構のように思える。 記録によると深さ10m、幅5mと記されており、今でも良く残っている。 |
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【四の砦】 |
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【御荷越の坂】 |
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【大手門跡】 |
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【古】 |
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【十綱橋】 |
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【出没注意】 |
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この辺りは熊や猿や放射線など、色々なものに注意しなくてはならないらしい。 |
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