白河小峰城



【白河小峰城】
 阿武隈川の南岸に面した小峰ヶ岡と呼ばれる東西に長い独立丘陵に築かれた梯郭式平山城で、 興国年間(1340〜1346)に結城親朝により築かれたのが始まり。その後、白河結城市の一族の小峰氏、 白河結城市の本状として栄えた。 秀吉の奥羽仕置により白河市が改易となった後は愛図版の城代が置かれ、蒲生・上杉の支配下となった。 現在見られる近世城郭は、初代白河藩主となった丹羽長重が幕府の命により寛永6年(1629)から 3年かけて築いたもので、60万m2にも及ぶ広大な城郭だった。江戸期を通じて、江戸の防衛の 一端を担う奥州の要衝の地として重要視され、親藩・譜代大名が幕末まで7家21代入っている。 幕末になると、奥羽越列藩同盟軍と新政府軍による戦いで落城し、多くの建物が焼失した。 近年になり、三重櫓や前御門が当時の資料によって忠実に木造復元されたが、東日本大震災により、 石垣が崩落するなど大きな被害を受けた。
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【展示パネル】
image-1  東日本大震災により石垣が崩落するなどの大きな被害を受けた為、現在本丸周囲は修復中で 立入り出来なかった。その代わりに歴史パネルなどが展示してある。


【三重櫓】
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image-1  松平定信が藩主の時代に作成した実測図『白河城御櫓絵図』と発掘調査の結果を基にして 木造で復元された。


【石垣】
 初代白河藩主の丹羽長重により寛永6年(1629)から4年の歳月をかけて造られた石垣で、総延長は2Kmある。 円を描くようにして積まれているのが特徴的。
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【石垣】
 東日本大震災により、石垣が9ヶ所に渡って崩落した。地震から3年経った 現在も修復作業が続けられているが、完成にはまだまだかかりそう。
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【本丸水堀】
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image-1  本丸周囲の水堀。北半分は完全に凍り付いている。ここまで凍ってしまうと、 堀としての役割が果たせているのか微妙。


【清水門】
image-1 image-1  本丸の南側、大手入口にあたる清水門。当時は櫓門が建てられていた。 現在は工事中のためここから先は立入禁止。


【藤門】
image-1 image-1  清水門の東側にある門。石垣が残っているが、こちらも工事用車両の入口となってしまっている。


【搦手】
 城の北側の搦手。門の石垣は地震の影響か一部崩落している。土橋部分は農地に転用されていた。
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【二ノ丸】
 本丸南側に位置する二ノ丸。昭和になって野球場として使われた事もあってか遺構は殆ど残っておらず、 資料館となっている集古苑や茶屋などが建てられている。
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【二ノ丸空堀】
image-1 image-1  二ノ丸の集古苑と茶屋の間に残る堀跡。二ノ丸西側にあったの水堀の跡とみられる。


【会津門】
image-1  二ノ丸の西側に設けられた門で、当時は高さ7mの柿葺きの門が建てられていた。 城の西側には、会津藩の旧臣を召し抱えて住まわせた会津町があり、会津町に通じる門のため会津門と呼ばれた。


【堀跡】
image-1  二ノ丸の南側の現在駐車場となっている場所は当時の水堀の跡と思われる。


【除染】
image-1 image-1  福島という事で、毎週放射線量の測定をしたり、除染も行っているらしい。地震の被害に加えて 大変だな・・・