郡上八幡城
郡上八幡城について
東氏の一族だった遠藤盛数により、主家の東氏攻めの拠点として砦を築いたのが始まりと言われている。
秀吉の時代となると稲葉貞道が入城し、関ヶ原の前哨戦となった慶長合戦の際は遠藤氏と争っている。
江戸期になると、旧領を回復した遠藤氏により修復され、寛文7年(1667)になってようやく幕府から城として認められている。
廃藩置県後、全ての建物が取り壊されたが、昭和8年に天守が復元され、現在は有形文化財に指定されている。
近年では、城ブームで岐阜の『天空の城』などと言われ始めている。今回は到着したのが夜だったために、
ライトアップされた天守を見るだけになってしまったが、明るい時間帯に是非再訪したい。
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【首洗い井戸】 |
他の城に時間をかけすぎて、この城に着いたのは午後8時過ぎ。街灯もない真っ暗な駐車場から、少しビビりながら城に向かい最初に見たのがこの首洗い井戸。
なんでも、慶長合戦の際に討ち取られた武将の首実検の際に使われた井戸らしい。当時は昼でも薄暗い場所だったとか。雰囲気伝わってきます。
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【模擬天守】 |
四層五階のそれらしい天守が立てられているが、これは昭和8年に当時現存していた大垣城の天守を模したもの。
オリジナルは三層の天守が当初建てられていたらしいが、江戸時代にはすでに無かった。
しかし、この模擬天守、木造の模擬天守としては最も古く、郡上市の有形文化財に指定されている。
模擬でも何でも、ある程度古くなればそれなりに価値が出てくると言うことだろう。
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【模擬隅櫓】 |
天守西側の模擬隅櫓。隅櫓はここと南側に二基建てられている。
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【石垣】 |
松の丸西側の石垣。野面積みで、あまり大きい石は使われていない。一部積み直しの部分もあるらしいが、山上の城としては見事な石垣が残っている。
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【大手門跡】 |
西側山麓の大手門跡。明治期まで黒塗りの立派な門が残っていたらしい。
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