Japanese Castle

御殿跡

御殿跡

【御殿跡】
 江戸時代初期に松平家乗により建てられた山麓の御殿跡で、当時は東西33間、南北36間の広大な御殿の他、御内家、土蔵、番所など23棟もの建物が建てられていた。江戸期は政治の中心として機能を果たし、明治2年(1869)の版籍奉還により藩主が知事となった後は県庁として機能した。明治14年に全焼したが、現在は太鼓櫓や城門などが一部復元されている。


【知新館】
 元禄15年(1702)に松平乗紀によって創立された岩村藩校、知新館の正門が残っている。岩村藩は小藩ながら文教政策に重点を置き、有能な藩士が多く育成しているらしい。
【城下町】
 城山の北西山麓には、近世以来の商業活動の中心として栄えた商家群の町並みが残っている。町の東側は江戸時代に建築されたものが多く、間口の広い町屋や土蔵が建ち並ぶのに対し、西側は江戸時代末期から発展し、明治期に商業の中心となったエリアで、東側に比べて軒の高い2階建ての建物が多くなっている。現在は城下町の近代の発展過程を伝える町屋群として、伝統的建造物群保存地区となっている。
【街中に残る石垣】
 街中には、城が機能していた当時のものと思われる古そうな石垣が随所に残っている。
【徳祥寺山門】
 山麓にある徳祥寺の山門は、明治6年に土岐門から移築されたもので、岩村城の数少ない現存遺構。なお、この門は岩村城の土岐門として使われる前は鶴ヶ城(瑞浪市)の城門で、土岐氏との戦いに勝った際の戦利品として岩村城に持ち帰ったと言われている。