【大門跡】 |
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三の丸と二の丸を仕切る苗木城で最も大きな門だった。幅2間半の二階建てで、 二階部分は物置に利用されていた。城主の江戸参勤出立時などの大きな行事以外は開けず、 普段は左側の潜戸が使われていた。 |
【勘定書門跡】 |
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大門を抜けたすぐ左には勘定書門が建てられ、この門を抜けると城主の居館である二の丸に続く、 住居玄関にあたる門があった。門の二階は勘定書詰所となっており、年貢米の出入りや金銀の出納は ここで調べられていた。 |
【二の丸跡】 |
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本丸の西側下に位置する二の丸跡。城主の御殿の他、書院などが建てられていた城の中心部で、 周囲の石垣や建物の礎石が残っている。 |
【二の丸 的場跡】 |
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二の丸の一段下に位置する的場跡。修復工事中だったが、的場の土塁が残っていた。 的を置いた土塁まで残っているのは全国的にも珍しいらしい。的場はここの他、二の丸にも残っている。 |
【二の丸付近石垣】 |
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大門から二の丸周辺の石垣は何度か修繕を繰り返しているらしく、古い石垣から切込み接ぎなどの 新しい石垣まで多様な石垣が見られる。 |
【不明門跡】 |
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二の丸の南側にある門で、幅約1間の通路の両側の石垣は最大で3.2mの高さがあり、良く残っている。 二階建ての門で、一階部分が門になり、二階部分は倉庫だった。普段は閉められ、忍びの門であると 言われているが、門から外の道は確認できていない。 |
【御朱印蔵跡】 |
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大門を入ってすぐ左にある蔵跡。切石を綺麗に積んだ見事な石垣が残っており、 蔵はこの石垣の上に建てられ、出入りには梯子が使用されていた。この蔵には 将軍家から与えられた領地目録や朱印状などの重要な文書や刀剣類が収められており、 これらの収蔵品の虫干しは年に一度行われていた。 |
【綿蔵門跡】 |
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本丸へと登る坂の入り口にあたる綿蔵門の跡。二階建ての門で、年貢として納められた 真綿が二階部分に保管されていた為、綿蔵門と呼ばれた。夕方7ッ時(午後4時)に門が閉められていた。 |
【坂下門跡】 |
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本丸へと登る坂の下にあった為、坂下門と呼ばれている。2脚の門で礎石と手前の石段が残っている。 苗木城改修の際に力添えをした、三代城主の友貞の奥方の実家が久世家である事から 久世門と呼ばれる事もあった。 |
【菱櫓門跡】 |
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坂下門からの登城路の突き当り、コの字に曲がる部分に建てられた櫓門の跡。 菱形に掛け渡してあった為に菱櫓門と呼ばれていた。門の横の自然石には門の柱跡が残っている。 |
【千石井戸】 |
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本丸石垣の下、苗木城内で最も高い場所に位置する井戸。比較的浅いらしいがが、 どんな日照りでも水が枯れる事がなかったと伝えられている。千人の用を達するという事から 千石井戸と名付けられた。 |
【的場跡】 |
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千石井戸の横にある的場の跡。二の丸腰曲輪にあった的場同様、ここにも的を置いた土塁が しっかりと残っている。また、この北側にも掛け造りの蔵が並んでいた。 |
【帯曲輪】 |
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本丸の周囲を取り囲むように配された帯曲輪で、二の丸からの登城路も兼ねていた。 崖沿いには石垣が築かれ、その上に塀が建てられていた。また、曲輪内は複数の門で区切られ、 櫓や蔵などが建てられていた。 |
【仕切門跡】 |
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帯曲輪の中程に位置する門。屋根付きの2間×4間半の建物で、門の右側は物置として利用されていた。 |
【物見櫓跡】 |
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帯曲輪の南端、木曽川に面した崖の上に建てられている事から木曽物見とも呼ばれていた。 部分的に2階建ての4間×6間の建物で、徒士具足蔵・物置の二部屋あった。 ここからの眺望が非常に良く、文献にも往時の木曽川の様子が記されている。 |
【清水門跡】 |
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本丸の南側に位置する門。門の北側の大岩の下から清水が湧き出ており、 どんな時でも枯れる事がないと言われている。絵図には桶が描かれ、清水を利用していた事が分かる。 |
【八大竜王社】 |
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清水門横の巨石の間に安置されている祠で、明治以後ここに移設された。 |