大森城



【大森城】
image-1  久々利城主土岐悪五郎の家臣、奥村元広によって築かれた城と言われ、天正10年(1582)に 謀反の企てが発覚して森長可に滅ぼされるまで奥村家の居城だった。森長可により攻撃された際に 炎上して落城したという言われており、発掘調査の結果、焼き米なども出土している。 現在でも遺構が良く残っている。


【大森神社】
 城域の東側に建つ大森神社。この神社の背後の比高35m程の山が城跡だが、 明瞭な登城路は無いので、背後の藪を直上すると4郭の空堀辺りに出る。 神社の境内には古そうな井戸も残っている。
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【4郭】
 神社の背後を登ると最初に出るのが4郭の空堀付近。この堀底道を通り曲輪内へと至る 珍しい構造になっている。また、堀底道を見渡す場所には櫓台と見られる土塁も残っている。
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【3郭】
 4郭の南側、一段上がったところに位置する3郭。3郭にはどう理解したら良いのか 分からない複雑な遺構が残っている。枡形のようなものなのだろうか?
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【馬出し】
 3郭から主郭へは、東側の馬出し状の郭を経由してから土橋を渡り主郭に至る構造になっている。 馬出しの端は綺麗に切岸加工されている。
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【主郭〜3郭】
image-1 image-1  主郭と3郭の間の西半分は空堀で隔てられている。


【主郭】
image-1  比高35m程の丘陵部の頂部に位置する主郭。東西約20m、南北約35m程の広さで、 一部に土塁も残っているが、現在は藪に覆われている。

【主郭東側空堀】
 主郭の東側の空堀の外側には土居が築かれ、二重土塁のようになっている。 最も形良く空堀が残っている場所。
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【主郭〜2郭】
 主郭と南側の2郭殿間の堀切。東西の空堀までつながる堀切が形良く残っている。
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【2郭】
image-1  主郭の南側に位置する第2郭。主郭ほど藪は無く、南側の土塁がはっきりと見られる。

【2郭空堀】
 2郭周囲の空堀。土塁の残る南側はかなりの高低差がある。
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【2郭南側】
image-1  2郭南側にもまとまった広さの削平地が見られる。この辺も居住性のある郭だったと思われる。


【天王社跡】
image-1  城域の東側に突き出した天王社跡と見られる土塁。この辺は農地になっているので、 ある程度改変されている可能性もある。