墨俣一夜城
【墨俣一夜城】
美濃進出の足場として、織田信長の配下だった秀吉が永禄9年(1566)に一夜で 砦を築き、秀吉出世の出発点となった場所として有名だが、この記述のある資料の信憑性は低く、 史実かどうかは定かではない。と言うわけで、遺構ももともと殆ど無かったと思われるが、 ふるさと創生事業で史実を無視した模擬天守が建てられ、当時の面影は全くなくなった。 やってはならない復興事業の代表例。
【模擬天守】
ふるさと創生事業でばらまかれた一億円で史実を無視したありもしない天守が建てられた。 しかも大垣城を模したらしく、全国的にも珍しい4層の天守になってしまっている。 こうやって城というものが勘違いされていくのだろう。
【石碑】
遺構が無いので、ひたすら石碑やら銅像やらが並べている。何だか痛々しい・・・ ありもしない天守を建てたり、石碑を建てるくらいなら、発掘すれば良かったのに。
【瓢箪】
秀吉の知名度にあやかるしか無いので、秀吉の馬標だった千成びょうたんにちなんで、 これでもかと言うくらい瓢箪置かれている。
【馬防柵】
永禄9年(1566)斉藤勢の騎馬を防ぐ為に高さ1間の馬防柵を1800間めぐらしたと言われており、 その馬防柵が復元されているが、この話も信憑性が低い。
【犀川】
城の目の前を流れる犀川。当時からの面影を残しているのはこの犀川と長良川に囲まれた 地形くらいかもしれない。
【墨俣本陣跡】
城の南にある墨俣本陣跡。城はあんな感じになってしまったが、 墨俣は古くから宿場町として発達した場所。江戸時代は美濃路に面するに 本陣が置かれ、美濃路を行き交う人で賑わっていた。現在、常夜灯が建てられている。