前橋城
15世紀末に長野氏が築城したのが始まりとされ、戦国期は厩橋城と呼ばれ北条・上杉・武田の間で奪い合いが繰り返された。江戸時代になると酒井重忠が入り、元和3年(1617)には大幅修築が行われ三層三階の天守が築かれるなど、近世城郭として生まれ変わったが、利根川の氾濫と浸食にさらされた他、大火にも見舞われて明和5年(1768)に一旦廃城となった。その後、川越藩の分領となっていたが、幕末の文久3年(1863)に江戸の北方を防備する必要性などから4年をかけて再建された。しかし、その4年後の明治4年(1871)に廃藩置県により廃城となった。現在、城の主要部だった場所には群馬県庁舎や裁判所などが置かれ、関東四名城と呼ばれた頃の名残はないものの、本丸の周囲に土塁の一部などが残っている。
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本丸周辺
【本丸東側土塁と石碑】 |
本丸東側に残る土塁。北東隅部は幕末の再建時に設けられた本丸北砲台と呼ばれる砲台跡で、明治41年(1908)に建てられた石碑が建てられている。碑文には前橋城の由来などが記されているらしい。
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【本丸北側土塁】 |
本丸北側の土塁。本丸周囲は北側を中心に重厚な土塁が良く残っている。高さは10m近くある規模の大きなもので、折れや櫓台のような場所も見られる。
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【高浜門跡】 |
上記の北側土塁に設けられた開口部。場所的に高浜門跡と見られる。門の規模も相当大きかったと思われる。
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【本丸西側土塁】 |
こちらは本丸西側土塁。周囲は駐車場となっており、車と比べるとその規模が分かる。
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【群馬県庁舎】 |
本丸跡には現在は立派な群馬県庁舎が建てられている。ここの展望室からは城域が一望出来るのでおすすめ。
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【利根川】 |
城域のすぐ西側を流れる利根川。堀の代わりとして利用しての立地だったが、この川に悩まされ続け廃城にまで至った。
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その他のエリア
【車橋門跡】 |
街中に残る車橋門跡。本丸周辺以外で残っている遺構はここくらい。外曲輪から城内に至る重要な門で、現在も門の石垣が残っている。しかし、この石垣の幅は随分と狭いと思ったら、当時のままの配置ではなく8m程狭められているらしい。誤解を生じそうな微妙な残し方な気がする。ちなみに、門自体は前橋藩四代藩主の酒井忠清の頃(1637~1681)に当初の冠木門から渡櫓門に改築されており、幕末の再建時にはこの門の外側に丸馬出しが設けられた。何故そんな時代に馬出し?と言う気もするが。
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