明徳寺城



【明徳寺城】
 南北朝時代に沼田氏が、会津の葦名氏に備えて天神山砦を改築したのが始まりで、 明徳年間(1390〜1394)に明徳寺が開山されてから、明徳寺城と呼ばれるようになった。 沼田氏滅亡後北条氏の城となり、小田原討伐の後は真田氏の所領となり廃城となった。


【主郭】
 主郭の南半分は現在藪に覆われているが、400m×300mとかなり広い。 当時は3段ほどの郭に区画されており、周囲を二重土塁がめぐっていた。

【北側虎口】
 北側の虎口。二重土塁が良く分かる。

【北側〜東側土塁】
 北側〜東側の土塁は二重で、内側からの比高でも3m位はあり、形良く残っている。

【東側土塁】
 東側の土塁の一部には、仕切りのような土塁も見られる。当時は3段の郭に 分けられていた名残りと思われる。

【腰郭】
 西側の一段下がったところには腰郭があり、現在は明徳寺の観音堂がある。 ここからさらに明徳寺方面に降りていく道もあったが、藪に覆われていた。

【馬出し】
 主郭の北側の、駐車場になっている辺りと、つきよの温泉辺りは馬出しのような郭 となっていたらしいが、現在は堀も埋められ、どのような形状だったかは分からない。