沼田城



【沼田城】
 天文元年(1532)頃に沼田顕泰によって築かれ、上杉、武田、北条などの有力大名の 属城として変遷をたどり、北条氏滅亡以降に真田氏の所有する城となった。真田信幸に より近世城郭として大改修され、慶長年間(1591〜1614)には五重の天守も建てられた。 その後、天和元年(1681)に真田氏が改易されると城は破壊され、本格的な復興はされなかった。 現在は沼田公園となっている。


【本丸】
 本丸跡には、天守台や西櫓などが残るが、全体的に遺構は少ない。 動物園のようなものも建てられている。以前他の城でもこのようなのを見た気が・・・

【鐘楼】
 現在の沼田城のシンボルとなっている鐘楼。真田氏の時代にも建てられていたが、 廃城の時に取り壊されたらしい。現在の鐘楼は戦後に復元されたもの。

【天守台】
 真田信之が慶長年間に建造したと伝えられる5層の天守閣が建っていた。 天守台の石垣だけでも15mの高さがあったと言われているが、現在は高さ2m程の 土塁が残るのみで、石垣も見当たらない。 ちなみに、5層の天守というのは江戸城以外には関東ではこの沼田城だけ。

【天守台北側】
 天守台のの北側はかなりの高低差があり、その下には池がある。かつての水堀の跡だろうか? また、大量の石があったが、石垣に使われていたものかは分からない。


【西櫓台石垣・石段】
 これといった遺構があまり残っていない沼田城で、唯一しっかり残っているのが、西櫓の石垣。 真田氏時代の遺構と思われる空堀と堀底道からの階段も発掘されて残っている。

【西櫓石垣】
 西櫓の石垣を西側に回って見たところ。高さ2m程の布積みの石垣が続いている。


【本丸〜古城】
 本丸西櫓の北側、古城との間は深い堀で隔たれている。この辺は自然地形を 利用したものと思われる。


【古城】
 本丸の北側に位置する古城。捨曲輪とも言われる。ここから北東方向の名胡桃城方面が見渡せる。 平八石や天狗堂がある。

【平八石】
 古城にある平八石。真田昌幸が沼田平八郎景義の首実検を行ったと伝えられる場所。 平八郎の首は、遺骸のある小沢城へ飛んでったと言われている。

【天狗堂】
 同じく古城に建つ天狗堂。日本一大きいと言われる天狗の面が納められている。


【本丸からの眺め】
 崖上に建てられた沼田城のは眺望が非常に良く、名胡桃城まで見渡せる。


【古城〜二の丸】
 古城と二の丸の間の空堀。規模が大きく自然地形を利用したものと思われる。


【本丸水堀】
 本丸と二の丸の間にわずかに残る水堀の跡。本丸側には石垣も残っている。この辺りの堀は 沼田城でも最も規模が大きなもので、当時は堀幅約24mあり、石垣の高さは6mあったらしいが、 どうも沼田城の石垣の高さに関する記述は大げさなような気がしてならない。 ここ堀底からは破城された時の瓦なども出土しているらしい。


【本丸門】
 本丸の東側に本丸門の石碑があるが、門の遺構などは無く、旧状は分からなかった。


【土岐家、生方家】
 本丸門の北側には、沼田藩主だった土岐家の子孫が建てた家や、城下にあった商家 などが移築保存されている。


【二の丸】
 二の丸は現在野球場やテニスコートになっているが、周囲の土塁は比較的良く残っている。 一部には櫓台もある。


【三の丸】
 三の丸は、本丸・二の丸の南に位置し、現在駐車場になっている。東西380m、最大幅120mの 規模で、南側にはわずかに土塁が残っている。この土塁の外側は堀底道になっている。