小沢城



【小沢城】
 応永12年(1405)に沼田景朝により築かれた崖城。永正16年(1519)に幕石城に うつるまでの四代114年間沼田氏の居城だった。


【東側虎口】
 現在、法城院という寺の境内になっている城域へは東側虎口から入る事になるが、 かつての堀跡と思われる道路と城域はかなりの急崖になっている。

【東側土塁】
 東側の土塁は良く残っており、一部に櫓台と思われる箇所もある。


【北側土塁】
 北側は土塁と空堀が良く残っている。堀底は藪になっているが、高低差は5m以上ある。 横矢もしっかりとかかっている。二重堀になっていたらしいが、現在は1重しか確認出来ない。

【北側虎口】
 北側の虎口。現在はこぢんまりとした虎口だが、当時は北側が大手だったらしい。


【沼田平八郎景義の墓】
 沼田市最後の主将である沼田平八郎景義の墓。景義は真田昌幸の謀計により沼田城で殺害され、 沼田市は滅びた。その後、沼田氏旧臣の離反を恐れた真田昌幸により、沼田大明神としてこの地に 祀られた。


【西側土塁】
 西側の中学校との間にも土塁が続いている。