館林城



【館林城】
image-1  築城時期は明確で無いが、享禄3年(1530)頃に、この地を治めていた赤井氏により築かれた と言われている。永禄5(1562)年の上杉謙信の関東出陣に際に、城主の赤井氏は戦う事なく降伏開城し、 それ以降は謙信の関東出陣の際の宿泊地として使われていた。その後、北条氏の領地となり、 天正18年(1590)の小田原の役では石田三成、大谷吉継らの軍勢に囲まれ開城した。 江戸時代になると城主は次々と変わり、寛文元年(1661)から延宝8年(1680)までは、 第五代将軍となる徳川綱吉も在城していた。その後、秋元氏の時代に廃藩置県を迎え廃城となり、 残っていた建物も明治7年(1874)の大火で焼失した。


【本丸跡】
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 城域の東側、城沼に面した場所に位置する本丸跡。当時は天守に相当する三重櫓の他、 御殿などが建てられていた。現在は広大な広場になっており、一部に土塁が残っている。


【二の丸跡】
image-1  本丸の西側に位置する二の丸跡。周囲を堀に囲まれ、城沼に面する南側は石垣も築かれていた。 内部には城代屋敷や二重櫓などが建てられていた。現在は市役所になっている。


【三の丸跡】
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image-1 image-1  二の丸の西側に位置し周囲を堀と土塁に囲まれた曲輪。東西二つの曲輪に分かれており、 城代屋敷、用屋敷、外用屋敷、土蔵、外城代屋敷などが建てられていた。 現在も北側には高さ3m〜4m程の土塁が市街地に良く残っている。


【土橋門】
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image-1  三の丸の北側に設けられた土橋門。内枡形の周囲の土塁が良く残っており、 土塁の上には土塀が復元されている。また、内枡形の内部に井戸が掘られている珍しいつくり。


【城沼】
image-1  城域の東に広がる城沼。当時は現在の倍ほどの広さがあり、城の外堀の役割を果たす天然の要害だった。