Japanese Castle

福山城 二の丸

二の丸

【二の丸】
 輪郭式平山城の中心である本丸の周囲を取り囲むよ帯曲輪のような二の丸。現在は周囲の石垣が残っているのみだが、当時は周囲を多門櫓や土塀で囲まれていた。
【水野勝成像、阿部正弘像】
 二の丸の東側には初代城主の水野勝成像、西側には幕末老中となった7代城主の阿部正弘像が建てられている。
【南側石垣】

 二の丸南側の高石垣。高さ10m以上はある完成度の高い見事な石垣で、所々に刻印も見られる。現在、この石垣の南側は福山駅となっており、遺構は残っていないが、当時は中程に鉄御門枡形が設けられ、周囲を水堀が巡っていた。
【復元された土塀】
 南側から東側の石垣上には土塀が復元されている。
【東側石垣】

 東側の石垣には、一部に明らかな積み直し部分も見られるものの、道路に面しながらも良く残っている。所々に櫓台の跡もみられる。
【東側腰曲輪跡】
 二の丸の東側、一段低くなった場所に設けられていた腰曲輪の跡。古絵図にもこの曲輪は描かれているが、建物は描かれておらず何に使われていたかはよく分からない。周囲の石垣は積み直しっぽい。現在はちょっとした公園のようになっている。
【東揚楯御門跡】
 二の丸の東側に設けられていた東揚楯御門の跡。当時はこの坂虎口手前の石垣上に櫓門が建てられていたと思われる。
【東坂三階櫓跡】
 東揚楯御門を守る位置に建てられていた東坂三階櫓跡。東揚楯御門の櫓門と接続した櫓で、文字通り三重櫓だった。この櫓を含めて、福山城には全部で6基の三重櫓が建てられていたらしい。
【鬼門櫓跡】
 二の丸の北東隅にも鬼門櫓と呼ばれる三階櫓が建てられていた。現在は藪に覆われているが、多分この石垣の上辺りと思われる。
【神辺一番櫓跡】
 二の丸の南西隅には、備後神辺城から移築されたと言われる神辺一番櫓が建てられていた。伏見城だけでなく、神辺城からは櫓などの殆どの建物が移築されたらしく、特に二の丸の西面には神辺一番櫓から神辺三番櫓までが移築され並んでいた。ちなみに、これらは三重櫓。よく10kmも離れた場所から運んだものだ。
【西坂口御門跡】
 上記の神辺一番櫓を回り込むようにして設けられていた虎口で、納戸も折れ曲がる複雑な造りになっている。当時はこの石垣上に櫓門が建てられていたと思われる。
【二の丸西面】

 二の丸の西側は上下二段に分かれており、それらを隔てる部分は現在は土塁状になっているが、崩れた石が多く残っているので、当時は石垣が築かれていたのかもしれない。この辺りも古絵図には描かれていないので、よく分からない。上段の北側にはそれっぽい感じの倉庫が建てられているが、遺構ではなさそう。
【西側石垣】
 二の丸の西面には、公園化されている三の丸沿いに高さ5m~6m程の石垣が残っている。北西隅には神辺三番櫓が建てられていた。
【天守礎石】
 二の丸の北側、天守台の下に並べられている礎石は、天守を鉄筋コンクリートで再建する際に掘り起こされ、元の配置のまま移されたもの。広島城と言い、岡山城と言い、山陰の城は殆ど戦災で失われて、同じように礎石が移されている。
【井戸跡】
 二の丸跡に僅かに残る井戸跡の石組み。本丸には4ヶ所、二の丸には3ヶ所、三の丸には2ヶ所の井戸があったらしい。