Japanese Castle

五稜郭

五稜郭

 幕末の箱館開港に伴って箱館奉行所の防御施設として安政4年(1857)に着工、元治元年(1864)に完成した。中世ヨーロッパで発達した城塞都市を参考にして蘭学者の武田斐三郎が設計した、国内では珍しい稜堡型の城郭で、大砲での攻防を主眼に置いた縄張だったが、火力が進化していた幕末頃にはあまり機能しなかった。天守や櫓などの高層建築物も、標的になる恐れがあるため建てられなかった。完成4年後の明治元年10月には榎本武揚率いる旧幕府軍が占拠し、翌年5月に降伏するまでの7ヶ月間、箱館戦争の舞台となった。函館戦争後は役所としての機能を失い、明治政府陸軍省の所轄となった。大正3年に五稜郭公園として一般開放され、昭和27年に国の特別史跡に指定された。現在も、北海道で唯一の国の特別史跡となっている。

大手

【一の橋と水堀】
 大手口に建てられた立派な石碑一の橋。流石は特別史跡。ここから一の橋を渡り、半月堡を経由し二の橋を渡って城内に至る。いずれの橋もいつでも切り落とせるように当時から木橋だった。また、堀幅は20m近くあり、その先にも広大な犬走りが設けられているので、本塁まではかなりの距離がある堅固な造りだった。時代が違えば結構難攻不落だっただろう。
【半月堡】
 大手虎口の外側に独立した曲輪として築かれている半月堡。いわゆる馬出し。当時は5基造られる予定だったが、財政的な理由により、大手の1箇所のみとなったらしい。幕末だから仕方ない。この時代、結局馬出しなど殆ど機能しないので、造らなくて正解だったと思うが、5基全部揃った五稜郭もちょっと見てみたかった気もする。
【大手】
 半月堡から水堀を渡った場所が大手虎口。当時は門と番所が設けられていたが、現在は残っていない。設計図によると、この虎口部分にV字型の石垣が見られるが、実際には造られなかった。
【大手石垣】
 大手周囲には、高さ5m程の石垣が築かれ、石垣の上部には外側に飛び出した刎ね出しが見られる。いわゆる武者返し、忍び返しと同じもので、敵兵が石垣を登るのを防いでいる。幕末に盛んに採用されており、台場などにも見られる。

郭内部

【見隠土塁】
 虎口を入ってすぐのところに設けられている見隠土塁。城内が直接見えないように虎口に設けられた土塁で、いわゆる蔀土塁のこと。3箇所ある虎口全てに造られており、いずれも長さ44m、幅14m、高さ4.6m程。土塁と言いつつ、外側にはしっかりと石垣が積まれている。
【箱館奉行所】

 西洋式の縄張りの内部には、日本の伝統建築で箱館奉行所が建てられていた。明治2年(1869)の箱館戦争の際に損傷し、その2年後に解体された。平成22年に古写真などを参考にして、同じ場所に当時の材料、工法を用いて出来るだけ忠実にな形で建物の主要な部分が復元された。復元されたのは玄関、大広間、表座敷など全体の1/3程だが、それでも総工費28億円かかったらしい。
【箱館奉行所 太鼓櫓】
 奉行所の中央部に突き出した二階部部分が太鼓櫓。箱館戦争の際には、この太鼓櫓を艦砲射撃の標的とされた。慌ててこの部分を撤去したが、既に射撃角度がバレてしまっており、決定的な打撃となった。この時期、高層建物が砲撃の標的になることは十分認識していたはずで、全ての建物を平面にし櫓も建てなかったのに、どうしてもメインの建物には、こういう望楼を建てたくなってしまうんだろうな。ちょっと残念。
【箱館奉行所 平面展示部分】
 箱館奉行所の総面積は3000m2とかなり広大で、現在復元されているのは1/3程の部分。それ以外の部分は平面展示されている。平面展示とは言え、発掘調査などを元に正確に再現されているので、これはこれで面白い。
【土蔵】
 建物の多くは明治4年(1871)に解体されたが、解体を免れ、築城当時から残る唯一の建物。当初は土蔵だったが、箱館戦争時には兵糧庫として使われていた。大正時代には箱館戦争の展示資料館として使われていた時期もあったらしい。
【板蔵、牢屋跡】
 北側虎口の見隠土塁の内側には、いくつかの建物跡が残っている。復元されているのは、奉行所の記録や物品などを保管していた建物と考えられる板蔵、その隣には控え場所にあたる公事人腰掛所、また罪人を一時的に拘置しておく牢屋も並んでいた。
【建物跡】
 箱館奉行所の裏手にあたる西側には、多くの長屋が建てられていた。それらも発掘調査を元にして間取りが平面展示されている。また、北東側からは厩跡も見つかっている。

周囲

【土塁】
 周囲に築かれている幅約30m、高さ約6mの重厚な土塁。石垣だと、大砲の弾が着弾した際に石が飛び散る恐れがあるため、虎口付近以外はあえて土塁造りになっているらしい。
【犬走り】
 土塁と水堀との間に設けられた広大な犬走り。幅は10m以上あり、犬走りと言うには広すぎるが、これは、火器の射程を意識して広めに取ってあるらしい。場所によっては高さ2m程の低めの土塁が設けられている。しかし大砲を打ち込まれると、これ位の幅では結構辛そう。
【稜堡】
 周囲に5箇所設けられている突き出した稜堡。ヨーロッパの城郭を参考に、大砲の死角を無くすために設けられている。大砲が設置され、内部には弾薬庫が設けられていた。
【大砲を運ぶ坂】
 稜補の内部には、箱館戦争時に造られたと思われる稜堡上に大砲を運ぶために築かれた坂が残っている。発掘調査の結果、大砲を運んだ際についたと思われる轍跡も見つかっている。
【弾薬庫】
 同じく稜堡内、上記の坂の横に残る弾薬庫前の土塁。弾薬庫は土塁をくり抜き敷石を敷いた堅固な造りで、くり抜いた土を土塁として弾薬庫前に積み上げていた。流石に厳重。6箇所に設けられていたらしい。

その他

【五稜郭タワー】
 五稜郭の大手近くに建てられている五稜郭タワー。高さ107mあり、ここからは五稜郭の縄張りの全貌が見える。しかし、贅沢を言えばもう少し高いと嬉しかった。内部はジオラマなどもあり、ちょっとした資料館となっている。
【土方歳三像】
 五稜郭タワーに建てられている土方歳三像。タワーの上にも下にも像が建てられている他、説明板も随所にあり土方の人気ぶりが分かる。ちなみに函館市内には五稜郭以外でも、一本木関門や資料館も建てられている。
【雪の五稜郭】
 冬に訪れた際の雪の五稜郭。当時(2004年)は広角レンズを持っていなかったため、一般的な画角で五稜郭タワーから普通に撮影すると、全体が一枚に収まらずちょっと寂しい感じ。もう少しタワーが高ければな・・・