姫路城 三の丸
三の丸
【大手門】 |
三の丸の南に設けられている大手門。明治基に陸軍の拠点となった際、三の丸の他の建物群とともに撤去されてしまったため、現在見られる高麗門は昭和になってから建てられたもの。当時の大手門は二重の枡形に3つの城門が設けられたの堅固な構造で、門を抜けた場所に当時の枡形石垣の部分が平面展示されている。また高麗門自体も現在のものとは位置もサイズも大きく異なっており、当時は幅6.4m程だったが、現在の門は幅9m程あり、これは軍用車両などが通りやすくするためと言われている。姫路城と言えど、全てが現存建物というわけでは無いらしい。
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【桜門橋】 |
大手門前の内堀に近年復元された桜門橋。発掘調査の結果を基にして、江戸時代の木橋を模して築かれている。
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【桜門橋】 |
桜門橋のかかる三の丸南側の内堀。大手だけあり、他の部分より広く幅は20m程に及ぶ。同じアングルでの写真だが、撮る時間と時期によってだいぶ違った印象になるな。
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【三の丸】 |
城域の南側山下の平地に広がる広大な三の丸。西側の現在、千姫ぼたん園となっている場所には、当時御居城と呼ばれた藩主の屋敷が建てられており、公式行事の場となっていた。また、東側には向御屋敷と呼ばれる広大な庭園を持つ屋敷が建てられていた。これらは明治初期に全て取り壊された。
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【石碑】 |
大手門を入ったすぐのところに置かれた『世界遺産 姫路城』の石碑。流石に世界遺産ともなると、石のサイズも違う。
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【三の丸石垣】 |
三の丸の南西部分の石垣には、積み足しの跡が見られる。いつ頃のものだろうか。
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【西大柱】 |
三の丸に展示されている西大柱。総長24.7mに及ぶ大柱で、東大柱と共に天守の地階から六階までを貫いて支えていた。一本の柱が支える重量は
100tにも及ぶらしい。江戸期に行われた2回の補強の跡も残っている。昭和の大修理の際、腐った箇所が見つかった事から再利用出来ず取り替えられた。
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【天守礎石】 |
6,000tもの天守の重量を支えていた礎石。昭和の大修理の際に補強無しでは自立出来ない程、地盤が沈下して傾いていた為、人工地盤が築かれ、その際に役目を終えた礎石が三の丸の一角に元通りに配置して再現展示されている。こうして見ると、不思議と実際の天守ほど広くは感じられない。
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