志知城
志知城について
築城年代は定かではないが、鎌倉時代の初めに菅和泉守道忠によって築かれたと言われている。
菅氏は代々続き、、室町時代には淡路守護細川氏に従っていた。この頃に菅氏を改め野口姓を名乗るようになった。
戦国時代になり細川氏の勢力が衰えると、野口氏は阿波三好氏に属するようになり、長宗我部氏などとも戦ったが、
天正9年(1581)に羽柴秀吉の阿波侵攻によって志知城は開城た。
その後、天正13年(1585)には秀吉の命により加藤嘉明が入城し、安宅・野口(菅)に替わって淡路水軍の整備を行った。
現在見られる縄張りはこの頃のものと考えられる。文禄4年、城主加藤嘉明が伊予松前に移ると豊臣氏直轄領となった際に、
代官石川紀伊守は叶堂城を築き、志知城は廃城となった。
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【主郭】 |
堀で囲まれた主郭内部は畑と雑木林になっており遺構は見られないが、わずかに高低差が見られる。
複数の郭に分かれていたのかもしれない。
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【水堀】 |
主郭の南側~西側にかけて水堀が一部残っており、橋がかけられている。
東側は現在は水がないものの、堀の形跡が見られる。
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