竹田城
竹田城について
嘉吉年間(1441~1443)守護大名の山名持豊(宗全)が、家臣の太田垣に築かせたのが始まりだが、
当初は砦に近いものだった。天正期の羽柴秀吉の但馬攻めの頃に大きく造りかえられ、
現在見られる遺構は、文禄~慶長初期の廃常時に近い時期の遺構と考えられる。
山頂の主要部の規模は南北400m、東西100mで、城域中央の最高所にある本丸を中心に
三方向に延びる尾根に梯郭式に総石垣で築かれた曲輪が配されている屈指の山城。
平成21年に国の史跡にも指定され、最近は訪れる人も激増し、石垣の崩壊が問題になっている。
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【駐車場】 |
城域南側の中腹にある駐車場。入り口には立派な冠木門が建てられている。
ここから南側→東側を回り込むようにして北千畳の大手門に至るのが一般的なルート。
急勾配を登って花屋敷に至る登城路もあったようだが、現在は藪に覆われて通れなくなっていた。
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【山名氏、赤松氏の供養塔】 |
駐車場の一角には山名氏、赤松氏の末裔により建立された宝塔が建てられている。
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【竪堀】 |
駐車場からの登城路の途中には竪堀が数ヶ所見られる。中でも東側の規模の大きな竪堀は、
大竪堀と呼ばれ、ここから石垣の石を引き上げたとも言われている。
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【工事中】 |
北千畳に向かう登城路は整備工事中だった。日本のマチュピチュと取り上げられ、近年人気が高まっており
整備も必要になってきているらしい。近々観覧料もかかるようになるとか。
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【南千畳 虎口】 |
通常ルートの大手門方面が工事中だったため、南千畳の虎口から城域に入るルートに変更になっていた。
枡形虎口の石垣がしっかり残っている。
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【南千畳】 |
南端にある広大な郭。恐らく城内で最も広い郭。周囲の高い石垣も良く残っている。
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【南千畳から見た石垣】 |
穴太積みで築かれた総石垣。加工を施さない自然石で築かれた石垣は隙間が多く粗雑に見えるが、
水はけが良く崩れにくい。実際、竹田城の石垣は一部の復元箇所を覗いて当時のままの石垣が残っている。
しかし、近年訪れる人が激増した事により石垣の崩落が懸念されている。
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【搦手】 |
南千畳の西側、南二の丸との間に位置する搦手跡。埋門と思われる。
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【南千畳~南二の丸】 |
南千畳と南二の丸の間に位置する門跡。比較的大きな石を用いた立派な門跡で、当時はこの門の
両側に櫓が建てられていたと思われる。
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【南二の丸】 |
南千畳の一段上の郭。講武所とも呼ばれている。
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【南二の丸~本丸】 |
南二の丸から本丸方面へは、櫓台と見られる石垣に複数回曲げられ、厳重に守られていた事が分かる。
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【平殿】 |
本丸の周囲を囲む腰郭のような役割の平殿。東側の入口には珍しいクランク状の石垣が残っているが、
現在は修復工事中で入れなかった。石垣の崩壊が進んできているところらしい。
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【奥殿】 |
平殿との境界は良く分からないが、本丸の西側が奥殿と呼ばれているっぽい。この郭から
花屋敷と下りる事が出来る。
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【奥殿~花屋敷】 |
奥殿と花屋敷の高低差は15m近くあり、その間は急勾配な階段となっている。階段の途中では複数回折れ曲がり、
要所要所には櫓台が見られる。
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【花屋敷】 |
本丸西側の一段下がったところにある花屋敷。花殿とも呼ばれいてる。周囲の石垣も良く残っている。
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【花屋敷南虎口】 |
花屋敷の南側に虎口が残っている。現在は通れなくなっているが、以前はここから駐車場までの
登城路があったらしい。結構急そうな道だが、距離的にはかなり近い。
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【花屋敷から見た本丸】 |
花屋敷から本丸を見上げる。奥殿までの高石垣も重なり、かなり迫力がある。攻める側としては、
とても本丸までたどり着ける気がしなくなるような石垣群。
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【本丸】 |
城域の中心部の最高所に位置する本丸。高見殿とも呼ばれており、ここからの眺めは非常に良い。
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【天守台】 |
本丸の東隅に位置する天守台。本丸との比高は2m程でさほど高くはないが、平殿からの高低差は
10m程ある。人が多いが柵は無いので、石垣に近付かないように各所に注意が書かれている。
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【本丸東虎口】 |
本丸東側の虎口。石畳の階段が平殿へと続いており、その規模からこちらが大手だったと思われる。
現在は石垣保存のため通れなくなっていた。
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【本丸北虎口】 |
本丸北側の虎口。小規模ながら枡形になっていた事が分かる。現在は本丸の入口はここのみとなっている。
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【本丸井戸跡?】 |
本丸の一角に井戸跡のような石組みが見られたが、こんな最高所に掘るわけもなさそうで、
良く分からない。
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【二の丸】 |
本丸の北側、平殿とクランク状の石垣で隔てられた曲輪が二の丸。東側の虎口で奥殿と
北の三の丸方向とつながっている。
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【二の門】 |
二の丸と三の丸の間を隔てる二の門。複数回曲げる厳重な作りで、石垣には大きく立派な
石が使われている。
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【三の丸】 |
二の丸の北側の曲輪。溜殿とも呼ばれる。北側には厳重な大手門、西側には井戸へと下りる虎口がある。
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【三の丸虎口】 |
三の丸の東側の虎口。ここを下りていくと井戸に出る。現在、階段は崩れてしまっているが、
枡形は良く残っている。
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【井戸跡】 |
三の丸から東側の斜面を下った山の中腹にある井戸跡。石組みや階段が残っている。
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【大手門】 |
三の丸と北千畳の間と、そのすぐ横の北千畳の入口の門をあわせて大手門と呼んでいるらしい。
こちらは三の丸と北千畳の間の大手門で、いわゆる大手二の門にあたる。大手らしく規模の大きい枡形で、
巨石を用いた石垣や石段も良く残っている。
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【大手門】 |
こちらは城外から北千畳に入る大手門で、いわゆる一般的な大手門の役割を持った門。
細長の石段状担った枡形が良く残っているが、訪れた時はこちらは工事中で現在通行止め。
やはり大手門で城の第一印象が決まるところもあるので、こちらから入城したかったな。
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【北千畳】 |
南千畳に次ぐ広大な曲輪。ここからの眺めもすばらしい。南から入城するルートになっているので、
ここまで来る人はほとんどいない。井戸跡のような窪みも見られた。
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【観音寺山城】 |
竹田城の北側に数百mのところにある出城。竪堀や石垣が残っているらしいが、竹田城の石垣を見た後に
観音寺山城のわずかな石垣を見に歩く気にはなれなかった。
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