常陸太田城
常陸太田城について
比高30m程の南北に長い台地上に築かれた、常陸を代表する名門戦国大名佐竹氏の本拠城。天仁2年(1109)に小野崎(藤原)通延に寄り築かれたのが始まりとされ、その後、佐竹氏の二代目佐竹隆義が入城し、以降佐竹義宣が戦国末期に水戸に本拠を移すまでの間、約400年間にわたって佐竹氏の本城として機能した。江戸時代になり、佐竹氏が秋田に移った後も太田御殿と呼ばれ、城の機能は一部残されていたらしいが、現在は市街地となり、遺構は殆ど残っていない。案内板の一つも建っておらず、佐竹氏の本城跡としてはあまりにも寂しい。
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【石碑】 |
太田小学校内に建てられている舞鶴城の石碑。現在は太田城、もしくは他と区別するために常陸太田城などと呼ばれているが、戦国期までは舞鶴城と呼ばれていた。この辺りは当時の本丸にあたる部分なので、学校内も見て回りたかったが、今のご時世なかなか出来ない。この石碑の写真を撮るのがやっと。
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【本丸西側】 |
と言う事で、小学校の周囲を散策。小学校の西側は切岸が残っており、南西隅には櫓台と思われる土塁も見られる。
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【土塁】 |
小学校の西側の現在広場となっている場所の一角には土盛りが見られる。場所的に、当時の土塁の跡かもしれない。
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【太田落雁】 |
現在、太田落雁の石碑がある場所は本丸東側の腰曲輪部分にあたる。現地解説版によると、天保4年(1833)、当時の水戸藩主だった徳川斉昭が景勝地として水戸八景に選定し、名付けた場所らしい。今はそれ程素晴らしい景色には見えないが、水戸で八箇所なら入るのかな?
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【本丸東側】 |
本丸東側にあたる太田落雁の辺りには切岸が良く残っており、特に石碑の北側は腰曲輪も見られる。
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【若宮八幡宮】 |
本丸の南に位置する若宮八幡宮。この辺りは当時の二の丸にあたる部分。西側の切岸が良く残っている。
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【内堀町】 |
若宮八幡の南側辺りは内堀町と言う地名らしい。あまり痕跡は見られなかったが、当時は二の丸と南側とを隔てる堀が掘られていたのだろう。
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【馬坂城跡】 |
常陸太田城の南西に位置する馬坂城跡。佐竹氏発祥の地と言われている。今回は記録的な台風の直後だったため、登城は断念した。
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【佐竹寺】 |
馬坂城の鬼門除けに位置する佐竹寺。寛和元年(985)創建と言われる古い寺で、佐竹氏の祖となった源昌義が、この境内で珍しい竹を見つけて『佐竹』と名乗ったのが佐竹氏の始まりらしい。戦国期に焼失し天文15年(1546)佐竹義昭により現在の地に再建された。本堂はこの頃に建てられたもので、現在は重要文化財に指定されている。
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