石神城
石神城について
佐竹氏家臣の石神小野崎氏が城主の頃から記録が残っており、所領の境界をめぐってしばしば
お隣の額田小野崎氏といざこざを繰り返していたらしい。慶長7年(1602)佐竹義宣の秋田移封に
石神小野崎氏も従い、石神城は廃城になったと思われる。現在は県の史跡に指定され、
公園として整備されており、見事な空堀や土塁などが見る事が出来る。
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【遠見城空堀】 |
主郭にあたる遠見城周囲の空堀と土塁。現在は木に覆われてしまっているが、かなり規模が大きい。
土橋は見当たらなかったが、当時は木橋でも架けられていたのだと思われる。土塁の一部にそれっぽい切れ目も見られた。
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【遠見城内部】 |
遠見城内部もかなり広い。内側から見ても土塁の高さは2m程あり、ほぼ全周残っている。
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【本丸】 |
遠見城の西側に広がる本丸。こちらは遠見城以上に広大。周囲にも高さ1m~2m程の土塁が残っている。
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【除染廃棄物保管場所】 |
訪れたのは2017年だったが、まだ本丸の一角には除染廃棄物保管場所があった。
現在は0.07μSv程だそうだが、当時この辺は結構線量出たんだろうな。
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【本丸空堀】 |
本丸周囲の空堀は、外側にさらに土塁を築き二重堀となっている。
また、二重堀の外側には水堀の名残と思われる池が残っている。
当時はこの辺から東側の久慈川にかけて湿地帯が広がっていたものと思われる。
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【本丸~二ノ丸】 |
本丸と二ノ丸との間には規模の大きな空堀が掘られている。また、本丸と二の丸とを繋ぐ土橋も残っており
虎口は喰違いになっている。
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【二ノ丸】 |
本丸の西側の広大な二ノ丸。連郭式の石神城の最外郭にあたる部分。この郭の周囲も、
一部削られてしまっている部分はあるものの、土塁と空堀が状態良く残っている。
一角には城址碑と説明板が建てられている。
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【二ノ丸北側】 |
二ノ丸では北側部分が一番明瞭に土塁と空堀が残っている。
このあたりも本丸同様、外側に土塁を築き二重堀となっている。
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【二ノ丸北側 堀底】 |
二ノ丸空堀の外側に築かれた土塁には一部開口部があり、そこから掘底道を通ることが出来るが、
迂闊に入ると、写真のように周囲を二ノ丸と土塁に囲まれた袋小路になり集中砲火・・・
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【二ノ丸北側土橋】 |
二ノ丸北側に残る土橋。
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【二ノ丸西側】 |
二ノ丸西側にも僅かながら土塁が残っており、その外側には空堀も残るが、竹藪に覆われてしまっている。
中程に土橋のようなものが見られるが、随分と細い。当時の遺構かは分からないが、遺構だとしたら土橋と言うよりは、
畝みたいなものなのかな?
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【二ノ丸南側】 |
二ノ丸の南側の土塁は残念ながら切り取られてしまっている。すぐ下に民家があるが、
かなりの高低差があることが分かる。
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【北郭】 |
本丸の堀を隔てた北側に位置する北郭。ここも城の一部だったらしい。遺構が残っているかもしれないが、
わりとうっそうとした山だったので断念。
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【長松院】 |
城下の長松院。石神城の城主、石神小野崎氏の菩提寺でもあるが、周囲には大規模な土塁が残っている。
このあたりまで外郭が続いていたところを見ると、相当規模の大きい城だったらしい。
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