【鹿島城】 |
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養和元年(1181)に源頼朝により総追捕使に任命された鹿島三郎政幹により築かれたと言われている。 以後400年にわたり鹿島氏の本拠地となり、永正の終わり頃(1520前後)には鹿島義幹により 大きく改造された。天正19年(1591)に鹿島清秀父子が佐竹義宣により謀殺され、鹿島城は落城した。 昭和59年に発掘調査が行われ、萱葺きの痕跡や、祭祀的遺物や墨書きの土器などが見つかっている。 現在、本丸跡は城山公園として整備され、桜の名所となっている。 |
【本丸跡】 |
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200m四方程の広大な本丸跡。現在は城址公園となっており、一部に遊具なども 設置されている。長い間畑地となっていた為、改変されている可能性は高いが、 周囲の切岸などは良く残っている。西側の一角には鹿島城跡記念碑が建てられている。 |
【本丸土塁】 |
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本丸周囲の土塁。この辺りも後世の改変を受けている可能性はあるが、 南北には高さ1m程の土塁が良く残っており、南側には折れも見られる。 |
【南側腰曲輪】 |
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【本丸南側土塁】 |
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【本丸東側空堀】 |
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本丸東側の巨大な空堀。近世城郭を思わせる巨大な空堀で、鹿島城の規模の大きさを感じさせる。 |
【土橋】 |
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【西側虎口】 |
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本丸西側の虎口。現在は遊歩道として整備されているが、当時からあったかは不明。 |
【西側腰曲輪】 |
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本丸西側、かなり下がったところに位置する腰曲輪。北側に行くにつれて細くなり、 帯曲輪のような形状になりながら続いている。 |
【二の丸跡】 |
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【本丸からの眺め】 |
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