古河城
鎌倉時代初期に源頼朝配下の武将が館を築いたのが始まりと言われる。室町時代には古河公方・足利成氏が本拠とし、以後戦国時代の関東における中心の一つとなり、上杉謙信と北条氏康によって公方擁立が争われた。後に北条氏の関東支配が確定的になると、古河公方もその支配体制の一部に組み込まれ、城も後北条氏の管理下におかれた。江戸時代になると、古河藩庁が置かれ将軍の日光社参時の宿として、また江戸城の北方の守りとしても重要視され、近代城郭として拡張整備された。江戸期を通じて、多くの譜代大名が入れ替わりで城主を務め、大老や老中を輩出している。明治になり廃城。その後の渡良瀬川の改修工事で城の大半が消滅した。現在は渡良瀬川堤防上に「古河城本丸跡」と書かれた石碑と解説版が建てられている。
|
本丸跡
【本丸跡】 |
渡良瀬川の堤防上から見た本丸跡。現在は河川敷のグラウンドとなっており、堤防上に石碑と解説板が建てられているのみだが、当時は御三階櫓の他、菱櫓、辰巳櫓、弓櫓、御殿などが建てられていた。明治期の廃城令により、建物や門は勿論、石垣まで払い下げられ、その後の渡良瀬川改修工事によって完全に消滅した。一部曲輪の名残のように見える場所もあるが、どこまでが城の痕跡なのかは定かではない。
|