古河公方館跡
初代古河公方の足利成氏が康正元年(1455)に鎌倉から古河の地に移った際に最初に築いた館と考えられている。2年後には北西約1kmの場所にある古河城に移り、その後は古河城の一部として機能していたと考えられる。天正18年(1590)豊臣秀吉の古河城破却令により、古河足利氏を継承していた氏姫が古河城から移り、元和6年(1620)に生涯を終えるまでを本館で過ごしたが、その後、寛永4年(1627)に氏姫の孫にあたる尊信が古河を離れると、残された本館は時宗十念寺の寺域となった。現在は古河総合公園として整備され、堀跡・土塁なども残っている。
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主要部
【御所沼】 |
水堀代わりの御所沼。当時は二重の堀に囲まれていたらしいが、第二次世界大戦後に干拓・埋立されて一時は消滅した。現在見られる御所沼は平成8年復元されたもので、当時と比較すると、大幅に縮小されている。
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【2郭跡】 |
城域東側の2郭跡。現在は茶畑となっている。昭和初期まではここに十念寺が建てられていたらしい。周囲は土塁というか、綺麗な切岸となっているが、どこまでが当時の遺構かは不明。
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【2郭跡 古民家】 |
2郭跡には2件の古民家が移築されている。城とは直接関係ないが、これはこれで面白い。
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【掘切】 |
主郭と2郭とを隔てる掘切。だいぶ埋まっている感はあるものの、幅の広い掘切と両側の土塁がしっかりと残っている。一番城跡らしい場所。
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【主郭跡】 |
上記の掘切の西側、御所沼に突き出した半島状の先端部の曲輪が主郭跡。特に遺構は見当たらないが、それなりの広さだった事が分かる。
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