金田城
築城年代は定かではないが、小田六騎の沼尻氏によって築かれたと言われており、小田氏四十八館の一つに数えられている。比高20m程の台地の端に築かれた単郭の城ながら、大規模な土塁と空堀を三方に巡らせており、とても小田配下の一武将単独の土木工事量とは考えられない規模。小田氏直轄、もしくはその後の佐竹氏による改修の可能性も考えられるが、詳しいことは分かっていない。いずれにしても、ほぼ無名にも関わらず、この地域としては圧倒的な規模の空堀が残る見応え十分な城。
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主郭周辺
【東側腰曲輪】 |
2022年の登城時時点では、案内板や明確な登城路は一切無いので、城域東側の段丘を見つけてとりついてみる。この辺りは主郭の腰曲輪にあたる場所だったようで、南側部分は外側に土塁を伴う空堀のような形状になっている。ただ、この周辺は基本的に私有地っぽいので、見学には注意が必要。
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【東側腰曲輪 井戸跡】 |
上記の腰曲輪の北西部には井戸跡のような大きな窪みが見られる。ただ、この辺りは後世改変の可能性もあるので、確実なところは良く分からない。
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【北側空堀】 |
腰曲輪状の場所から、西側に向かって巨大な空堀が見られる。ここが主郭北側の空堀にあたる。高低差10m近くに及ぶ巨大な空堀で、城の規模から考えても不釣り合いな程の大きさ。小田氏の本城である小田城よりも規模は大きく、小田氏直轄の縄張としても不自然。やはり、佐竹氏、北条氏との境目の拠点として整備されたと考えるのが自然だろうか。
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【北側曲輪跡】 |
事前の予習では単郭の城とのことだったが、上記の空堀の北側には削平された曲輪状の地形が見られる。この辺りも城域だったとみて良いかもしれない。
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【西側空堀】 |
北側から堀底を通り西側空堀へ。こちらも北側同様大規模な空堀が続き、空堀の外側には土塁が築かれ、二重堀のような形状になっている。
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【南側空堀】 |
上記の空堀、二重堀は南側まで続いている。一部藪化してしまっているが、この二重堀の外側はすぐ民家となっているので、突入しすぎに注意。
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主郭跡
【主郭】 |
巨大空堀に囲まれた主郭。長辺100m以上ある五角形の巨大な曲輪で、東側以外には土塁が明瞭に残っている。単郭とは言え、かなりの規模の城だったことが分かる。
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【東側虎口跡】 |
主郭の東側に設けられている虎口跡。車が通っている形跡があり、現在も作業道として利用されているっぽいので、だいぶ改変されているものと思われる。
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【主郭北側土塁】 |
主郭北側の土塁。曲輪内から見ると高さ2m程の土塁だが、外側から見ると、10m程の高低差になる。
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【主郭南側土塁】 |
主郭の南側には、櫓台にも見える二重の土壇のような少し技巧的な土塁が見られる。何らかの建物が建てられていたのかもしれないが、良く分からない。
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【主郭西側土塁】 |
主郭西側部分の土塁は曲輪内から見ると高さ1m程とだいぶ控えめ。だが、外側は他同様、高さのある見事な切岸になっている。
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