額田城
額田城について
茨城の名族、佐竹氏の一族が、建長年間にこの地で額田氏と称して城を築いたのが始まり。
その後、佐竹氏宗家と対立して落城している。その後は小野崎氏が城主となり、
この頃にお隣の石神氏といざこざを繰り返していた記録が残っている。
天正19年(1591)にまたしても佐竹20代善宣に攻められて落城し、廃城となった。
現在は市指定史跡になっているが、個人的にはお隣の県史跡の石神城に全くひけをとらない城だと思う。
まぁ県でも市でもどっちでも良いんだけど、どういう基準で選んでいるんだろうな? と思ったりもする。
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【3郭北側土塁・空堀】 |
城域北側の額田地区交流センターの裏手にいきなり見える高さ2m程の土塁。
このあたりは3郭の北側に当たる部分。この土塁の内側には規模の大きい空堀が完存している。
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【3郭東側空堀】 |
3郭東側にも、一部は藪に埋まりつつあるものの、見事な空堀が残っている。
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【3郭】 |
東西に広がる広大な3郭は、現在は数軒の民家が建ち、多くが畑地となっているが、
周囲にはほぼ全周土塁が残っている。特に北東方面の空堀が見事。
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【2郭~3郭 空堀】 |
2郭と3郭とを隔てる空堀。深さ7~8m程ありそうな巨大な空堀で、東側半分は横矢がかかりまくっている。
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【2郭~3郭 土橋 空堀】 |
2郭と3郭との間に架けられた土橋。喰違いになっている。この土橋より東側は横矢だらけだったが、
一転して西側は直線的な空堀。
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【2郭】 |
2郭内部は畑地になっている。さん3郭との土橋の他に、東側にも土橋が架けられており、
その周囲の空堀には水が溜まり、水堀のようになっていた。当時もこんな感じだったのかな?
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【主郭東側空堀】 |
主郭の南側は低湿地帯に続いているが、それ以外の部分の空堀が完存している。
こちらは東側の空堀。外側にも土塁が築かれ、間の空堀には水が溜まっている。
特に雨が多い時期でもなかったので、普段から空堀と言うよりは泥田堀のような感じだったのだろう。
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【主郭~2郭】 |
主郭の北側、2郭との間の空堀。こちらもしっかりと横矢をきかせてある。
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【主郭】 |
木に覆われた主郭。周囲に土塁は見られないが、内部に何ヶ所か建物跡っぽい土塁が見られた。
当時の遺構かはよく分からない。
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【主郭西側空堀①】 |
低湿地帯から主郭の西側入り込む空堀。東側同様、外側に土塁が築かれ一部が水堀になっている。
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【主郭西側空堀②】 |
主郭西側空堀の空堀を2郭方向に進むと、直線的な空堀になる。
このあたりの空堀が一番深いように思える。多分。
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【主郭南側の郭】 |
主郭の南側には、空堀を隔てて小規模な郭が残っている。現地地図を見ると、
2郭の一部が回り込んでいるように見えるが、独立した郭っぽい。
低湿地帯からの攻撃に備えた郭だろう。
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【低湿地】 |
南側に広がる畑。当時はこの辺り一帯が低湿地帯となって、外堀の役割をしていたと思われる。
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【低湿地】 |
主郭西側にも低湿地帯が入り込み、外堀のようになっている。このさらに西側も当時は城域で、
土塁なども残っているらしいが、今回は確認しなかった。
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