小田城



【小田城】
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 12世紀末頃に八田知家の居館として築かれ、次第に拡張、強化され3重の堀と土塁に 囲まれた広大な平城へと転化した。初代の八田知家もしくは4代時知の頃から小田氏を 名乗るようになり、南北朝時代には関東における南朝の中心となって活躍したが、 戦国時代になると、佐竹氏、結城氏に攻められ、小田城の激しい争奪戦が続いた。 1569年の手這坂の合戦に敗れて小田氏は土浦に逃げ、その後は佐竹氏の城となり、 佐竹家の梶原政景により大規模に改修された。1602年に佐竹氏は秋田へ国替えされ 廃城となった。 現在残っている史跡範囲だけでも南北550m、東西450mに及ぶ広大な遺構は、 佐竹家の頃のものと思われるが、地下には鎌倉時代〜戦国期までの5層が残っており、 中世を通じた城郭の移り変わりが分かる。 一時期、本丸を鉄道が横切り遺構が破壊されていたが、2009年から7年間かけて 復元整備された。


【本丸跡】
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 南北約115m、東西約100mの方形で、内部は通路と大溝により、建物域、 園池域と比較的建物が少ない空間域に分けられている。 以前は車で乗り付けられる広場だったが、現在は綺麗に整備された。
image-1 image-1 写真左:2003年撮影
写真中:2009年撮影

【大溝】
image-1  本丸内部を区画する大溝。この大溝と通路により大きく3つの空間に区画されている。 溝と言うよりは、立派な土塁と空堀に見える。

【建物域】
image-1  大溝で区画された北西部、南北75m、東西約70mの区画からは多数の柱穴や礎石などが 見つかっている。また、炭化米等も多く見つかっている事から、城主の住まいや台所等があったと 考えられている。

【西池】
image-1  大溝で区画された南西部に残る西池の跡。このあたりは、接客や儀式等を行う場だったと思われる。 16世紀後半は東西約17m、南北約14mで深さ1m程の池だったらしいが、 以前は東西約20m、南北40m以上あったものをつくりかえている。 庭石等が多く使われていたと考えられている。

【涼台】
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 本丸の南西隅に残る櫓台跡。涼台と呼ばれており、復元される以前はここがぽつんと目立っていた。
写真中:2009年撮影、写真左:2003年撮影

【鐘楼台】
image-1 image-1  本丸の北東に位置する鐘楼台。かつてはここに櫓が建てられていたと思われる。 現在は高さ3m近い五輪塔が置かれているが、誰の墓なのかは不明。 以前、持って行かれた事があったらしいが、不幸が相次いだため元に戻されたらしい。


【本丸南側土塁】
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 綺麗に整備された本丸周囲の土塁。土塁の外側の犬走りの部分にはサイクリングロードが 写真左:現在の南側土塁、写真中:2009年の南側土塁、 写真右:2003年の南側土塁。


【本丸西側土塁】
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 綺麗に整備された本丸西側の土塁。以前に比べると見違える高さ。 こうやって城跡は造られていくのか といった感じ。
image-1 image-1 写真左:2003年
写真中:2009年


【本丸東虎口】
image-1  本丸に設けられた3つの虎口の一つ。幅4m程の門で、礎石と方形の柱痕が確認されている。 この虎口の外側には木橋が架けられ、東曲輪と接続していた。

【東側水堀】
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 本丸東側の水堀。整備前の2009年(写真右)は水堀か空堀か分からない 沼地のような堀だったが、整備後は往時を偲ばせる立派な水堀になっていた。

【東曲輪】
image-1 image-1  本丸の東に位置する南北に長い馬出状の曲輪で、東と南は幅6〜10m程の土塁で囲まれていた。 この曲輪からは建物跡が殆ど確認されていない事から、馬出しとしての役割を担っていたと考えられる。 本丸との間には、半ばまで石垣を伴う土橋が確認されており、残りの部分は木橋となっていたと思われる。 また、この辺りは「一ノ木戸」と言う地名が残っており、本丸へと続く通路や門があったと思われる。

【東曲輪 石碑】
image-1 image-1  東曲輪に置かれた『小田城址』の石碑。以前は涼台に置かれていたもの。(写真中)


【本丸南西虎口】
image-1  本丸に設けられた3つの虎口の一つ。最終段階に造られた虎口で、幅は約3.2m、 周辺には部分的に石垣が築かれている。訪れた2015年5月段階も発掘中だったのか、 ブルーシートがかけられていた。この虎口の外側に馬出曲輪が配されている。

【南西馬出曲輪】
image-1 image-1  本丸南西虎口を守る馬出曲輪。現在は周囲の土塁が復元され、本丸周囲を走る サイクリングロードから木橋が架けられている。

【南側】
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image-1  本丸の南側は馬出曲輪のみが整備されているが、馬出曲輪の外側にも南館や丹後屋敷と 呼ばれる曲輪や堀などの痕跡が残っている。この辺りはどうなっていくんだろう? 個人的にはこのまま残して欲しい気がする。

【志田曲輪】
image-1  本丸の南東にひときわ高くなっている場所が志田曲輪の跡。


【本丸北虎口】
image-1  本丸に設けられた3つの虎口の一つ。幅は約3.3mで、柱穴や礎石跡と思われる 穴が検出されている。虎口の外側の堀には数段の石積みを伴う土橋が築かれており、 北側の丸馬出しに接続していた。

【北側 堀】
image-1  本丸の北側は以前は堀が埋められ、境界が判然としなかったが、こちらもしっかりと 土塁と堀が造られていた。ここの堀も整備後には水堀になるのだろうか?

【北側 馬出跡】
image-1 image-1  本丸の北側には堀を隔てて丸馬出しが設けられていたが、現在は民家となっており、 明瞭な遺構は残っていないものの、道や畑などにはその名残が見られる。


【西側水堀】
image-1  本丸西側の堀跡。この辺はあまり手を加えてないらしく、少しほっとした。