鳥越城
鳥越城について
一向一揆の拠点として、鈴木出羽守により天正年間に築かれた山城。天正8年(1580)に加賀一向一揆の本拠地である金沢御坊が織田方に落とされた後も、白山麓の一向宗門徒がこの城を拠点に最後まで徹底抗戦し、一度は柴田勝家によって落とされたが、再度奪還している。しかし、天正10年(1582)に佐久間盛政によって鎮圧され、数百人に及ぶ門徒が磔になり、そのまま廃城となったものと思われる。当時の遺構が良く残っており、国の史跡に指定されている。
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【後三の丸とあやめが池】 |
城域のすぐ北側まで車で登る事が出来る。尾根伝いの南側を正面とした城だったらしく、北側の曲輪は後三の丸、後二の丸と呼ばれている。駐車場横の後三の丸の空堀の一部には、あやめが池と呼ばれる湧水を貯める場所があり、溜池として使われていたと思われる。
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【後二の丸】 |
本丸の北側尾根上に位置する馬蹄形の後二の丸。駐車場側から見ると、壁のように高低差のある急勾配の切り岸となっており、直上するのは難しい。周囲には空堀もみられ、曲輪内からは掘立建物跡と礎石建物跡が見つかっている。違う年代の建物だろうか。また、本丸との間には見事な薬研堀が残っている。
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【本丸枡形虎口】 |
本丸南側の虎口は枡形になっており、一ノ門にあたる枡形門の両側は布積みの石垣が築かれている。枡形門以外の部分は土塁だが、明瞭に残っており、それぞれの虎口には門が復元されている。
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【本丸櫓台と土塁】 |
本丸南面の本丸門のすぐ横には櫓台が残っている。櫓台の上には建物の礎石も残っており、虎口を守る櫓が建てられていたと思われる。また、本丸門の西側には高さ1m程の土塁が続き、南面の守りを固めている。
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【本丸跡】 |
北に突き出した城山(標高312m)の最頂部に位置する本丸。北側には堀切を隔てて後二の丸、西側には腰曲輪、南側は枡形門を設けて守りを固めていた。曲輪内からは6時期にわたる建物が見つかっており、南西側では火災の後も見つかっている。落城時の跡だろうか? 周囲は土塁に囲まれ、一部に塀が復元されている。
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【本丸腰曲輪】 |
本丸の西側一段下がった場所に設けられた腰曲輪。ここからも多くの建物跡が見つかっている。周囲の曲輪と共に本丸を守る重要な曲輪だったと考えられる。
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【中の丸】 |
本丸の南に隣接する中の丸。倉庫や壁のほか、南の虎口には重厚な櫓門である中の丸門も復元されている。時代を考えた良い感じの復元。
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【二の丸】 |
中の丸の東側が二の丸。周囲を土塁に囲まれ、内部からは礎石建物跡などが見つかっている。この南側には堀切を挟んで三の丸があるらしかったが、暗くなってきて確認出来なかった。
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