Japanese Castle

本丸・現存天守

本丸

【本丸虎口】
 本丸へは、唯一東側の虎口から入れるようになっている。東に折れる厳重な枡形虎口の石垣が残っている。
【本丸】
 標高66mの亀山の最高所に位置する本丸。東西41m、南北49mの規模で、北面に現存天守が建てられている。現存する天守は京極氏の時代に建てられたもので、生駒時代は本丸の中央に独立した天守台と天守が建てられ、4隅に櫓が建てられていた。
【姫櫓跡】
 本丸北西隅に建てられていた姫櫓跡。この面は三の丸から直接本丸なので、かなりの高低差があり、見事な櫓台の石垣が見られる。
【本丸塩櫓跡】
 本丸の周囲に建てられていた4基の二重櫓のうちの一つ。北西隅に建てられていた塩櫓跡。
【宗門櫓跡】
 本丸の周囲に建てられていた4基の二重櫓のうちの一つ。南西隅に建てられていた宗門櫓跡。

現存天守

【現存天守】
 本丸の北面中央部に現存する三重三階の層塔型天守。柱間6間×5間で高さは約15m、総面積も約190m2と現存天守中では最も規模が小さいが、瀬戸内海からの見栄えを重視して総高60mに及ぶ高石垣上に築かれているため、結構存在感がある。現在は天守のみしか残っておらず、入り口も寂しい感じだが、当時は渡櫓と二基の二重櫓が連結しており、渡櫓から入る造りだった。また、本丸内部から見ると、唐破風を設け、天守台石垣も低く、平和な時代の天守に見えるが、北面には狭間や石落としが設けられている。寛永19年(1642)の山崎氏の頃に御三階櫓として建てられたと言われているが、昭和25年の解体修理の結果、三階の壁中から万治元年(1660)に完成したとの木札が発見されている。完成したのがこの時期だったのか、三階の壁部分のみこの時期に改修されたのかはよく分かっていない。

【天守一階】
 天守一階。1間ごとに柱が立つ総柱形式。東西6間、南北5間の規模で、外側に面した壁の下側は厚く造られており狭間も残っている。
【天守二階】
 天守二階。東西4間半、南北3間半で窓が少なく少し薄暗い印象。ここにも狭間が設けられている。平和な時期に建てられた天守としては頑張っているな。
【天守三階】
 天守三階。東西3間、南北2間の広さで、かなり逓減率が大きく上階に行く程急激に狭くなっている。これは見上げたときに天守が大きく見えるようにした小天守ながらの工夫。格子窓により明るいが、他の階同様に居住性は無い。ここの南東隅の壁から万治3年(1660)の墨書の祈祷札が発見された。