三の丸
三の丸
【三の丸石垣】 |
大手道の途中にも見られる三の丸北側の高石垣。高さは22mに及ぶ見事な曲線の石垣で、隅部は完成した算木積で積まれている事からも、山崎氏の頃に築かれたものと思われる。横矢の効いた高石垣が北面全体にわたって築かれている。
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【北東隅櫓台】 |
見返り坂の東側に設けられている櫓台。だが、ここの櫓台には実際に櫓は建てられなかったらしい。この櫓台は修復されており、上半分の石の色がくっきり違う。もう少し同じような石を持って来れなかったかなぁ?何年かすれば、目立たなくなるのだろうか?
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【延寿閣】 |
三の丸の南側に建てられている延寿閣。昔からここにあるような雰囲気だが、実際には旧藩主京極家の江戸屋敷の一部が移築されたもの。良く東京から運んできたな。
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【月見櫓跡】 |
三の丸の南東隅に建てられていた月見櫓跡。ここからは南東部が一面見渡す事が出来、確かに月見には絶好の場所だったと思われる。この辺りの石垣もかなり高い。
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【三の丸井戸】 |
三の丸の南側、あまり人が立ち入らない場所にある三の丸井戸。城の井戸にありがちな抜け穴伝説があるらしい。
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【三の丸乾櫓跡】 |
三の丸の北西隅に残る乾櫓跡。当時は二重二階の櫓が建てられていたが、明治二年に御殿と共に焼失した。と言う事は、御殿の火がここまで達したと言うことだろうか?だとしたら凄い火事。櫓台の石垣と礎石が残っており、石垣の一部が赤くなっているが、これは焼失した時に焼けた跡と思われる。
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【三の丸南側石垣】 |
三の丸南側の高石垣。搦手方面を守る櫓台の石垣なども見られる。
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【崩落した石垣】 |
2019年に訪れた際、三の丸の南西隅の坤櫓石垣から帯曲輪にかけての石垣が崩落していた。そのままの形で滑り落ちた感じ。2018年7月に帯曲輪が、10月に坤櫓が崩れたらしい。崩れる前には結構音がしていたとか。現在は石垣復旧PR館というプレハブが腰曲輪に建てられ、復旧状況などが紹介されているが、『積みなおすでござる』はなんとも緩い感じ。
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【崩落前の石垣】 |
2009年に訪れたときの貴重な崩落前の坤櫓台の石垣写真。確かに孕みなども見られるが、ここよりも酷い場所はいくらでもありそう。石垣自体と言うよりも、地滑りのような感じなので、地盤が弱かったのだろうか。
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【三の丸帯曲輪】 |
三の丸の一段下を巡る曲輪。山崎氏、もしくは京極氏の頃に整備されたと思われる。
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