山下曲輪
【御殿跡】 |
城山の北側山麓に建てられていた御殿跡。藩主の居館として使用されていたが、明治2年(1869)の火災で焼失した。この際の火災は激しかったらしく、三の丸の乾櫓まで延焼しているが、表門と番所・長屋は焼失を免れて、現在も残っている。
|
【御殿表門】 |
御殿の入口に現存する御殿表門。当時は玄関前御門とも呼ばれていた。解体修理された際に、京極氏が丸亀に入城する前の年号の墨書きが残っていたことから、元々別の場所に建てられていた門が移築された可能性がある。現在は県指定有形文化財に指定されている。
|
【番所長屋】 |
表御門の北側に接続し、表門と共に焼失を免れた番所長屋。御殿への出入りを監視していた長屋で、番所・詰所・交代部屋・御駕籠部屋からなり、門の外側からは内部が見えないように工夫されている。
|
【あやめ池】 |
御殿跡に残るあやめ池。土橋を挟んだ水堀のようにも見えるが、一応池。御殿中庭に設けられていた池の跡と思われる。
|
【丸亀市立資料館】 |
山下曲輪の西側に建てられている入場料無料のありがたい丸亀市立資料館。山崎、京極の家紋の鬼瓦なども展示されていた。
|
【土塁】 |
丸亀市立資料館近くの内堀沿いには、僅かながら土塁が残っている。丸亀城と言えば総石垣のイメージが強いが、このような土塁の場所もある。
|
【野球場】 |
丸亀市立資料館の南側一帯は近年野球場になっていたが、2018年の石垣崩落以降は崩れた石垣置き場となっていた。5年計画で6,000個の石を積み直すようだが、途方も無い作業だな・・・
|
【内堀】 |
山麓の山下曲輪の周囲には内堀が全周にわたって残っている。北側の水堀周囲には石垣が築かれているが、それ以外の場所は基本的に土塁で造られている。当時は外堀もあったが、現在は残っていない。
|
【うぐいす谷】 |
山麓腰曲輪の南側に残る舟入跡。うぐいす谷と呼ばれ、当時は北側の御殿付近まで繋がっていたらしいが現在は埋められている。この辺りは土の城と言った印象。
|
【野面積み石垣】 |
城域の南側山麓に約80mにわたって残る野面積み石垣。生駒氏築城当時の最も古い時期の石垣と思われる。散々切込接ぎの石垣をみてきた後に、この石垣を見ると、やっぱり野面積みって良いなぁ と思ってしまう。
|
【ゴミ箱】 |
城内に設置されているゴミ箱。歴代城主の生駒、山崎、京極の家紋が彫られている。一つ欲しいな。
|