Japanese Castle

足柄城

足柄城について

 万葉集にも登場する古くからの交通の要衝で、関所や砦のようなものは古くから築かれていたが、現在見られる足柄城としては、 北条氏綱の頃に整備されたものと思われ、北条氏の城として機能した。永禄11年(1568)に甲相駿三国同盟が破綻してからは、 この城の役割も重要視され大規模な改修がされている。天正18年(1590)の小田原攻めの際には井伊直政により攻められ落城し、 そのまま廃城となった。
【主郭南側掘切】
 足柄峠の最高所付近の車道が主郭南側の掘切となっている。この車道を通す際にある程度改変されているものと思われるが、 それでも結構な規模だった事が分かる。現在は曲輪の間に木橋が架けられている。
【主郭】
 掘切を上った場所がいきなり主郭。南北に長細い曲輪で、一部に石積みが見られるが、建物の礎石かな? また、北側の最高所には石碑が建てられており、ここからは西側の富士山まで一望できる。

【山の神社】
 主郭と堀切を隔てた南側の郭。藪に覆われているが、中央部に旅人の安全を祈願した『山の神社』がある。
【主郭東側腰曲輪】
 主郭の東側は腰曲輪が連続しているが比較的なだらか。標高759mの峠に位置するとは言え、あまり要害地形には見えない。
【玉手ヶ池】
 主郭の東側下にある玉手ヶ池。尾根上にもかかわらず、現在もしっかり水が貯まっている。 『底知らずの池』や『雨乞い池』などと言われており、当時はここで雨乞いしていたらしい。 また、底が小田原に通じているという、城にありがちな伝説もある。
【主郭~二郭 掘切】
 主郭とその北側の二郭とを隔てる掘切。綺麗に整備されており、形状が良く分かる。
【二郭】
 主郭の北側、掘切を隔てて一段下がった場所にある二郭。ゴルフ場のような感じでなだらかな傾斜になっており、 キチッと削平された感じではない。この案内板もゴルフ場を意識しているのか?
【二郭~三郭 掘切】
 二郭北側のバンカーとグリーン。じゃなかった 掘切とその先の三郭。こちらも形良く残っている。
【三郭】
 二郭北側の三郭。主郭と二郭に比べると大分狭い。ここまでは典型的な連郭式に郭が並んでいる。
【三郭~四郭】
 三郭から北側は、どこまでが自然地形か判然としない緩やかな空堀と細長い四郭が続く。 四郭も幅広い土塁のような雰囲気で居住性は低いが、近くに井戸跡が残っていた。
【四郭~五郭】
 四郭北側も緩やかな空堀。自然地形に多少手を加えた程度に見える。
【五郭】
 五郭。ある程度判別出来る一番北側の郭。この北側はかなりの高低差。実質上の城域はこの辺りまでだったと思われる。