茅ヶ崎城址
茅ヶ崎城址について
早渕川沿いの丘陵の先端部の交通の要衝に築かれた丘城で、14世紀末~15世紀前半に築城されたと考えられている。
小机城から直線距離で3.5km程で、二重土塁なども見られる事から、北条氏により改修されていると思われるが、
あまり詳しい事は分かっていない。江戸時代には徳川氏の領地となり、村の入会地(共有地)などとしで利用され、
現在はすぐ近くまで住宅が迫る中、城址公園となって奇跡的に良好な状態で遺構が保存されている。
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【北郭】 |
城址公園の入り口となっている北郭横の堀底道から入る。公園化によって虎口の辺りはだいぶ改変されてそうな雰囲気。
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【北郭土橋】 |
分断された北郭の土橋。当時は北側にも曲輪があり、それらを結ぶ土橋だったと思われるが、
宅地化により土橋の途中で見事に分断されている。これ程大胆に分断されている土橋を見るのも珍しい。
幅3m程の土橋で、北曲輪との連結部分からは木戸の跡と見られる柱穴が見つかっている。
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【北郭井戸】 |
北郭の井戸跡 と言っても現在は埋め戻されて標柱が建てられているのみ。現地案内板によると、
直径4m、深さ5m程の井戸跡で、湧水量はかなり多かったらしい。
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【中郭】 |
北郭の南側、一段高くなった場所に位置する広大な中郭。土塁に囲まれた郭内からは、
倉庫跡と思われる建物の柱穴が多数見つかっているが、住居跡と思われる建物跡は見つかっていないらしい。
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【中郭土塁】 |
中郭の周囲には、全周にわたり重厚な土塁が残っている。堀底から7~8m、郭内からでも2.5m以上あったと思われる。
一部、二段になっている場所や切り欠き部分も見られる。
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【東郭】 |
中郭より3m程高い城内の最高所に位置する主郭に当たる郭。東西50m、南北20m程の郭で、こちらも中郭同様、
周囲はかなりの急斜面に切岸加工されているが、土塁は残っていない。ここからは中原街道、大山道などが見渡せた。
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【中郭~東郭 土橋】 |
中郭と東郭とを隔てる空堀に架けられた土橋。正直、現在は案内板がなければ、気づかないくらいの高低差。
発掘調査の結果、盛土で造られていた事が分かっている。木橋ならともかく、こんな空堀の真ん中に土橋を架けてしまうのかと
半信半疑だったが、廃城後、もしくは後半になって造られたと言うことらしい。
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【腰郭】 |
東郭の北側に、空堀を隔ててかろうじて残る細長い腰曲輪。東側はある程度の広さの郭になっているが、
西側は郭と言うより土橋に近い細さ。当時はこの腰郭の北側に東北郭があったらしいので、その間の二重堀の
土塁みたいな感じだったのかもしれない。ちなみに、東北郭は煙滅してしまっている。
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【東郭虎口】 |
東郭の南側にある虎口跡。この南側に根古屋があり、根古屋からの登城路の途中にあった虎口と思われる。
現在はここから根古屋方向には行けなくなっている。
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【南平場】 |
城域の南側は寝小屋に向かって南平場と呼ばれる腰曲輪が数段続いている。
この南側山麓には東西600mに及ぶ根古屋があったらしい。
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【西郭】 |
今度は西側へ。中郭と空堀を隔てて城内最大の広さの西郭があるが、他の郭に比べると、こちらはあまり整備されていない印象。
時期によっては草に覆われて遺構が判然とせず、切岸が分かる程度。
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【中郭~西郭 空堀】 |
中郭と西郭とを隔てる空堀。かなり規模が大きい。現在は堀底は遊歩道となっている。この北側に虎口が推定されているので、
当時から堀底道として利用されていたのだろう。
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