Japanese Castle

河村城

河村城について

 南北を川に囲まれた比高130mの城山と呼ばれる独立丘に築かれた河村城。現在もすぐ近くを東名が高速が通っているが、 当時から甲斐・駿河から相模に至る交通の要衝だった。平安末期に秀郷流藤原氏の一族である河村氏によって築かれたのが始まりとされており、 戦国期には北条氏の城として、武田氏の侵攻に備えて大改修されている。現在見られる畝堀などはこの頃の遺構と思われる。 その後、小田原の役で北条氏が滅びるとともに廃城になったと思われるが、この辺の資料はないらしい。 保存状態も良く、中心部は色々と整備されてはいるのだが、コンクリート造りの巨大な通路を造ってしまったりしている。 整備の方法をもう少し考えてほしい。少なくとも余計な金をかけ手を加えて、遺構を破壊していくのは本当にやめて欲しいものだ。 一度失われたものは、戻らないのだから。
【馬違戸~大庭郭】
 城山には車では東側から上る事が出来、東端の馬違戸と呼ばれる郭跡に車を停められる。馬違戸とは馬場のようなものと思われる。 ここから西側の大庭郭との間には掘切跡が見られる。現在は車道も通され、なだらかになってしまっているが、深さ10m以上ある 規模の大きい薬研堀だったらしい。確かに車道の横にはその名残が残っている。
【大庭郭】
 馬違戸と掘切を挟んで西側にある広大な郭。東側の張出と呼ばれる部分と2段に分かれており、切岸が明瞭に残っている。 しかし、訪れた時も複数のトラックが入ってせっせと遺構を造成していた。どこから運んできたものか分からないが、 色々なところに土が積まれたりしている。土塁でも造る気だろうか?大丈夫か?
【近藤郭】
 大庭郭の西側の近藤郭。大庭郭との境界は遊歩道などが整備されすぎていてはっきりしない。 下草さえ刈ってくれれば十分なんだけどなぁ。
【近藤郭~蔵郭】

 近藤郭と蔵郭とを隔てる巨大掘切。幅約24m、深さ約12mあり、城内でも最大規模。堀底には畝も伴う見事な空堀だが、 随分と立派な遊歩道が造られてしまっており雰囲気も遺構もかなり残念な事に・・・ 管理用通路とのことだが、こんなに立派な橋を架ける必要があったのだろうか? なお、現地の地図には障子堀と書いてあったが、障子堀っぽいところは見当たらなかった。
【蔵郭】
 近藤郭と本城郭との間にある東西に長い蔵郭。この郭からは建物跡や陶器などが発見されている。 しっかり発掘調査もしているらしいんだけど、その後がなぁ。 北側には腰曲輪が数段続いている。
【蔵郭~本城郭】
 蔵郭と本郭とを隔てる掘切。幅20m,深さ8m程の薬研堀で、発掘調査の結果、5回程作り直されているらしい。 また、堀底からは木橋の跡が検出されており、雰囲気のある木橋が復元されている。近藤郭との間の橋も こういう感じの復元は出来なかったのだろうか?この城は遺構も素晴らしいのだが、遺構よりも復元状況や改変に目が行ってしまう。
【本城郭】
 丘陵上の郭にしては、かなり広大な本城郭。南北に長く、北隅には石碑と祠が建てられている。 周囲に土塁などは見られないものの、綺麗に切岸加工されており、北側には畝堀が残っている。
【本城郭東側】
 本城郭の東側には冠木門が復元されており、そこを抜けて郭の東側へ。かなり急勾配な斜面になっている。 途中、大きな石も見られたが、礎石などに使われていたのだろうか。
【本城郭~小郭】
 本城郭から北側の小郭へ。この間には見事な畝堀が残っている。畝は8本検出されており、 どの程度復元されているものかは定かではないが、ここまで明瞭な畝堀は、ここと山中城でしか見た事がない。 案内板によると、ここも近藤郭と蔵郭の間の堀と同様、障子堀と言うことになっているが、やはり畝堀。 ここでは畝堀のことを障子堀と言っているらしい。
【小郭】

 本城郭北側に位置する三角形の小郭。本城郭からは一段低くなっており、郭全体が丸見えの位置。 この郭の南北には、低いながらも土塁が残っており、その先が畝堀になっている。郭内に穴も数カ所見られるが、これが 4ヶ所見つかったとされるピット穴なのかは定かでない。また、南北に粒停止の溜場が在るとのことだったが、分からなかった。 しかし、東側エリアとは打って変わってこちらの郭には遊歩道がない。遺構を傷つけないように細心の注意を払いながら、 壁面から上ったが、これがかなりの急斜面。寄せ手の大変さが痛感出来て、これはこれで楽しいが、皆思い思いの場所から上っている跡が。 遺跡の保護を考えると、簡単な階段くらいは設けておいた方が良いのかもしれない。すごい通路を造ってみたり、階段すらなかったりと極端だな。
【小郭~茶臼郭】
 小郭とその北側の茶臼郭との間の畝堀。こちらも明瞭な畝が5本見られ、畝と畝との間には水が溜まっている。

【姫井戸】
 小郭から茶臼郭の間の畝堀の一番東側の畝の部分は姫井戸と呼ばれており、水が湧き出しているらしい。 古絵図によると、この場所に井戸が描かれているとのこと。しかし、現状では他の畝にも水が溜まっているので、 いまいち違いがよく分からない。落城の際に城主の姫がここの井戸に身を投げたと言われており、姫井戸と呼ばれている。
【馬出郭】
 今度は本城郭の南側へ。南側には尾根上には馬出郭があるが、尾根上の細長い郭で、どこまでが土橋か郭か分からないような感じ。 いわゆる一般的な馬出しとはイメージが違う。
【西郭】
 尾根は西から北に向かって伸びており、その尾根上に西郭、北郭が続く。これらも馬出郭同様、 尾根道だか郭だか分からないような細長い郭に見える。
【水郭】
 本城郭と西郭との間に挟まれた谷部分が水郭。確かに削平されているようにも見えるが、現在は木々に覆われており、よく分からない。 この郭の北側下には馬洗場と呼ばれる郭が続く。
【西郭~北郭】
 西郭の北側には北郭が続く。それらの間には一応掘切らしい地形が見られるが、判然としない。
【北郭張出し】
 北郭の北側にはさらに張出しと呼ばれる郭が続くが、この辺りも境界が判然しない上、郭と言うよりもただの尾根道に見える。 この先も遊歩道は続いており、このままダラダラと山麓に降りていくと思われるが、ここら辺に尾根筋をしっかりと断ちきる掘切でも欲しかったところ。