津久井城



【津久井城】
 戦国期には北条氏の支城として、甲斐の武田氏に備える重要な役割を 担っていたが、天正18年(1590)秀吉の小田原攻めの際、徳川勢の本田忠勝、 平岩親吉らの軍勢に攻められて落城した。その後、徳川氏の所領となり、 大きく改修され、17世紀後半まで陣屋が置かれていた。根古屋式の始まりとも 考えられている城。


【根古屋】
 現在は資料館などが建てられている。

【牢屋の沢】
 この橋の上流に牢屋があったらしい。大規模に改修している場所らしく、竪堀も 見られるらしいが、草で良く分からなかった。


【車坂】
 根古屋から山頂の本城エリアへの坂。かなりの急な道だが、当時の大手らしい。

【堀切】
 車坂が尾根と交わる場所は堀切になっており、本城曲輪群と飯綱曲輪群方面とを 分断している。

【堀切〜本城】
 堀切から本城曲輪群へは尾根づたいに細長い曲輪が続く。

【家老屋敷】
 本城曲輪群に向かう途中、最初に現れる曲輪。結構な広さがある。石垣も残っている らしいが、藪で良く分からなかった。

【太鼓曲輪】
 家老屋敷を上ったところにある曲輪。尾根を削平した細長い曲輪。写真右は家老屋敷 から見た太鼓曲輪。かなりの比高がある。

【堀切】
 太鼓曲輪と本城方面とを分断する堀切。かつてはここに引橋が架けられて いたらしい。

【堀切、土橋】
 引橋があったとされる堀切から本城へ向かう途中も、細長い曲輪と土橋や堀切に よって幾重にも防備されている。

【土蔵】
 本丸横の土蔵と呼ばれている曲輪。虎口付近には櫓台と思われる土塁が残っている。

【眺め】
 土蔵からの眺め。かなり眺望が良い。

【本城】
 周囲は土塁で囲まれている。

【腰曲輪】
 本城の周囲は腰曲輪で囲まれている。

【米曲輪】
 本城を取り巻く腰曲輪の西側部分は米曲輪と呼ばれている。当時は米倉でも あったのだろうか。


【飯綱曲輪】
 堀切から尾根づたいに登って行くと飯縄曲輪に出る。曲輪の最高所は飯綱神社になっている。

【腰曲輪】
 飯縄曲輪を取り巻く腰曲輪。土塁が明瞭に残っている。

【腰曲輪】
 腰曲輪にある大杉。樹齢900年と言われているので、津久井城が機能していた 当時から、立派な大木だった。

【宝ヶ池】
 裏手にある池。山城での貴重な水源。刀研ぎに使われたとも言われている。

【狼煙台】

【物見曲輪】

【土橋・堀切】
 飯縄曲輪から鷹射場方面へは堀切と土橋で防御されている。


【お屋敷】
 内藤氏の屋敷があった場所。ここから色々な遺物が発見されている。

【お屋敷 虎口】


【北側】
 北側(津久井湖側)は公園化されており、麓には石垣があるが、最近のものだろう。